18.神戸市北区八多町屏風辻の道標1(二基の内南側)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
神戸市北区八多町屏風1247 県道38号西畑交差点から南東330mの旧道湾曲部、西への道との三ツ辻北西部に
南東を正面に建つ。(エンド地蔵前とある。)(「北側の道標2」はこちら)
自然石 75x65x42p
N34.817700 E135.174405


写真gimg5153

写真gimg5155

写真gimg5156

写真gimg5159

南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│右ハ三木               │
│    道              │
│左ハ村                │
└―――――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区39)
(明治の地図ではこの辻が主要道で北側を通る現在(2020)の県道38号は見えない。又、辻から西に下りながら南に
 廻りこむ道は「八多町屏風1129の道標」から下る道に出る手前のここから50m西で南に折れ約100mの淡河川
 の右(北)岸で「屏風1053の道標」から下って来た道と合流し橋を渡って屏風村中に続いている。
 依って「左ハ村」は屏風集落へのこの西直進道を指し、「右ハ三木」は北西に向かう主要道である北湯乃山街道を
 案内するもので位置も向きも問題は無さそうである。元禄や「天保国絵図摂津国」にも「屏風村」は載りこれより
 西は播磨国で野瀬村迄二十四丁(2.6km)となっており、淡河川の南北に二本の道が見え北側(現県道38相当)
 の北湯乃山街道に於いては弓ノ木を国境としていた様である。
  北隣には「安政四年」の銘を持つ「道標2」が建つがこちらの方が道案内に徹する分、古いと思われる。)
(同書の道標住所に「八多町屏風 エンドの地蔵前」とあるが、道を挟んで東側の高い部分に建物がありこれを指
 すものと思うが確認できなかった。周囲には供養塔等が幾つか見られ、明治の地図では神社の記号が描かれる。)

写真gimg5226 写真gimg5148 写真gimg5185
【1.道標を西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北に望む
 奥(南西)村中へ  右奥、県道38淡河へ  右上に建物がある
 左側が当道標】  左大きい方当道標】  エンドの地蔵か】

写真gimg5165 写真gimg5161 写真gimg5164
【4.道標南東面左側 【5.道標南東面中央部 【6.道標南東面右側
 「左ハ村」は  コケで読み難いが  「右ハ三木」は
 「屏風村」であろう】  中央下部に「道」】  問題なく読める】

写真gimg5149 写真gimg5152 写真gimg5225
【7.を北西に望む 【8.道標南東面拡大 【9.道標の東の建物
 左側が当道標  当道標には  これがエンドの
 右安政の道標2】  信仰色を感じない】  地蔵堂であろうか】

写真gimg3361
【10.北区東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ