17.神戸市北区八多町屏風1129の道標

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神戸市北区八多町屏風1129 県道38号西畑交差点から南東230m、南西へ細道の三ツ辻の南東部に
北東を正面に建つ。
尖頭型角柱 55x23x22p(頂高5p)(仏像龕部22x16x-3p、像部21x16x3p)(頭頂部φ2p盃状穴あり)
N34.818455 E135.17383


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北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│    奉              │
│(仏像) 西國三十三(所巡礼供養)  │
│    納              │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――――――┐
│右 山田兵庫             │
│スグ有馬大坂             │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│      …中… 西野(トミ)   │
│明治廿五年九月建之 村上(ヤエ)   │
│          池尻ジ(ュウ)  │
└―――――――――――――――――――┘

南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│スグ淡河三(木)           │
└―――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)


(明治廿五(25)年は1892年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区38)
(現在(2020)では県道38号が南東から北西に走る所から南に向かう道が分岐する三ツ辻であり、明治の地図では北
 へ分岐する小径が見え、四辻であったかも知れないがほぼ同位置に今の向きのまま建っていたと思われる。よって
 北西面の「スグ有馬大坂」が県道38号の直進を指し、「右山田兵庫」が南に急激に下り淡河川に出る道であろう。
 南東(裏)面が「スグ淡河…」で県道を示すことになり全ての案内に不都合はない。
  ここで、「山田」への案内が普通に書かれているが、南東220mにある「八多町屏風1053の道標」にある
 案内との違いに興味がわく。それには「…山田ちかミち」とあり東から西に向かう人には当道標で南折れするより
 も「屏風1053の道標」で『南折れする方が「近道」ですよ』と表現したものかもしれないが、此処から南折れ
 し金毘羅山西側の鳴川沿いの道で山田に出るルートより近いと言いたかったものか、何れともし難い。
  又、当道標を南折れし淡河川の右(北東)岸の辻(近道道標から下った辻)に出る事も可能で、明治の地図では
 「近道道標」からその辻に出て橋を渡り、「頓行司池の道標」を経て、金毘羅山尾根筋へ続く道が聯路として記さ
 れ、鳴川沿いの谷道が間路であることから、尾根道が山田への主要道であったと思われる。『神戸の道標』では
 「ここから右へくだって、南方の黒甲越えを経て金剛童子山・下谷上を通って兵庫へ出る。」としている。)
(仏像は、西國三十三所、額の化仏、手に持つ蓮華等から観世音菩薩坐像であろう。彫も深く綺麗に残っており、皆
 から親しまれたものか、頂部には2pの径を持つ盃状穴がある。)
(南西面紀年の右側で「西野…」の上に「…中…」と文字らしきものが見えるが読めない。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を東に望む
 奥(北西)淡河へ  奥、三田、有馬へ  左、県道38淡河へ
 左、淡河川右岸へ】  右(南)淡河川へ】  右、県道38深谷へ】

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【4.道標南東面拡大 【5.道標北東面上部 【6.道標北西面拡大
 「スグ淡河三」下は  観音菩薩坐像か  「スグ」以外は
 「木」であろう】  3p程彫り込む】  全て漢字で刻む】

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【7.道標南西面上部 【8.道標北東面下部 【9.道標を南西に望む
 「明治廿五年…」  「奉納」は左右に  奥(南西)淡河川へと
 と見える】  「西國…」は縦に】  一気に下る】

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【10.道標南西面下部
 「…九月建之…」
 と施主名三人か】

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【11.北区東部の道標】
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