23.神戸市北区八多町附物極楽寺の道標

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神戸市北区八多町附物884 県道38号八多中学校南の極楽寺南の山中、墓地内西部に東を正面に建つ。
地蔵台石 25x49x49p(地蔵部99x38x28p下から61pで折損)
N34.821162 E135.194551


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東面
┌─――――――――――――――――――┐
│右 者り(ま)            │
│      (道)          │
│左 をふさ(うし)          │
└―――――――――――――――――――┘
(「者」は変体仮名「は」、「播磨」であろう)
(( )部は『神戸の道標』より)

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│…大…                │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│七月 四日              │
└―――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区34)
(同書に「もと、寺の北方、八多小学校の南の角(播磨街道上)にあった。奥蔵寺への表参道は寺の前の道を南へ、
 …家の東に納屋の建っているところへ通じ、そこに山門があった。」としている。奥蔵寺とその山門の位置は確認
 できないが、「左奥蔵寺」とするのは極楽寺東の道と考えて間違いないと思う。明治の地図で見ると現県道38号が
 南西に向かう県道又は達路として描かれ、南へ分岐する道は聯路として描かれているので大きな辻であったと思わ
 れる。南へ分岐する道は現在(2020)では六甲北有料道路の柳谷IC方面に続いているが、柳谷を案内せず奥蔵寺
 としているのは参詣の便に供したものであろう。
  因みに、ここから3km程南西には大蔵山(452m)があり、その北麓400m辺りの霊園は奥蔵寺の跡地とする資料
 がwebに見られた。)
(同書に他の面の解説が無いが、少なくとも南面には月日が彫られ、左右のバランスから北面には年号が刻まれてい
 ると思われる。触ってみても分らなかったが、写真では「大」らしきものが見えるが、江戸時代に大の付く年号は
 無く「大正」とするには位置的に下過ぎるので、施主の名前の一部などかもしれない。又、上部の地蔵との関係は
 分からないが、光背部分に文字があり、これも読めないでいるが道案内では無さそうだが気になる。)
(播磨街道南西1.2kmに「八多町深谷341の道標」があるが案内先は異なる。)

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【1.極楽寺を北西に望む 【2.墓地入口を南西に望む 【3.道標を南に望む
 寺の生垣に沿って  墓地へは左上に進む  右から二番目の
 左へ進むと墓地へ】  右下は県道38へ】  地蔵下の台石】

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【4.道標東面拡大 【5.道標東面左部 【6.道標東面右部
 地蔵は首部で折損  「左をふさ…」  「右者り…」
 台石とは同質石か】  「う」の上迄見える】  「ま」の上迄見える】

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【7.地蔵東面を拡大 【8.台石の三面合成
 光背部読めないが  左から南、東、北面
 道案内では無さそう】  左「七月…」は読める】

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【9.北区東部の道標】
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