28.神戸市北区八多町才谷橋西の道標

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神戸市北区八多町中782−1 道場南口踏切の西230m県道38号才谷橋西交差点の北東部に南西を正面に建つ
自然石 69x56x44p
N34.855742 E135.220850

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南西面
┌─―――――――――――――――┐
│ 右どうじよ 主同行六人    │
│奉巡拝西國丗三所供養塔     │
│ 左さんだ 發起人常楽十二世良忠│
│      補人茶講女中    │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 明治廿四年六月日       │
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北東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(明治24年は1891年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区31)
(同書によると「不老元バス停前」とあり、現在の位置からは200m程南西になる。明治の地図で見るとその地点で
 三ツ辻があり左(北東)へは現在(2020)の県道38号沿いに進み三田へ向かうが八多川を渡る事はなく、又今の
 様に鹿の子台に登る事もなく神戸電鉄道場駅に続く道と見え、右(東)がすぐに川を越え現在の道場南口駅の東の
 「北区道場町日下部南口踏切の道標」に出ていることが分る。
 よって「右どうじよ」は道場川原を示すものであろう。
  その他の資料に道の西側と思われる位置に建つ写真が見られるが、元は多分、北区八多町883−1
N34.854385 E135.219603
 辺りの辻北東部に建っていたと想像する。)
(南西面「常楽十二世…」は、北区八多町中60にある「常楽寺」の関係者であろうと勝手に想像しているが、この
 関係である為か一時はその寺にも移設されていたいたようで、当然現在地へも移設であろう。
  尚、「常」の字が少し怪しく「當」「宙」等も考えられるか。)
(同書にある題目の読み下し「奉納」は「奉巡拝」である。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南西に望む
 左奥、鹿の子台へ  後ろ八多川に架る  左(北東)南口駅へ
 明治には無かった】  才谷橋越えて南口へ】  右奥、八多町へ】

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【4.道標南西面拡大 【5.道標南西面上部 【6.道標南西面下部
 墨が入れられ  「右どうじよ」は  「…茶講女中」から
 読み易いが】  地元の呼び方か】  接待もされていたか】

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【7.道標南東面拡大 【8.道標南東面拡大 【9.不老元バス停を北に望む
 日に当たり  「明治廿四年六月…」  元位置はバス停右側辺り
 読み難いが】  と読める】  ではないかと思う】

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【10.北区東部の道標】
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