29.神戸市北区道場町日下部南口踏切の道標

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神戸市北区道場町日下部1060 県道38号道場南口駅北側の踏切の東50m三ツ辻北東角に南を正面に建つ
(北に「道場町日下部民家庭の道標」がある)
自然石 61x48x20p
N34.856956 E135.223674

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南面
┌─―――――――――――――――┐
│ 文化元甲子三月日       │
│  當村 政治郎        │
│     惣八         │
│  同行 友七         │
│  道場(志まや嘉兵衛)    │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『旧有馬郡の道標』より)

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│ 右 とう志やうか王ら     │
│四國八十八ヶ所供養       │
│ 左 さん田          │
└――――――――――――――――┘
(「志、王」は変体仮名「し、わ」で
 「右 道場川原」であろう)

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(文化元(甲子)年三月1日とすると、西暦1804年4月10日火曜日となる。文化元年は2月11日から始まり改元直
 後にも係らず「文化」と刻されているのは三月も後半に建てられた為かも知れない。
  改元時建立の例は「高槻市京口町12の道標」等を参照して下さい。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載。『旧有馬郡の道標』荒木勉1998年では5)
(明治の地図で当地を見ると四辻であり、北へ進むと八多川に架かる橋を渡り有野川と合流地点の北(廣瀬橋西詰)
 で三ツ辻に突当り、西に採れば西林寺下の山裾道で現在の神鉄道場駅に出て三田へ最短である。三ツ辻を東に折れ
 廣瀬橋を越へて道場川原へも行けるが道標から右(北東)への道が近い。依って現在の北面を西から南の間に向け
 て立てられていたと思われる。現在は道に背を向けた状態にしてあるのは、左(北)への道が廃止された為であろ
 う。北への道は昭和25年発行にあり、昭和42年改測の地理院地図では消えている。)
(南面の5行目の読下しは余り自信がなく、他書『北区旧有馬郡の道標』によりました。ご自身でお確かめ下さい。
  読下しの「道場…」を上記の書で住所・人名と受取ると、「當村」は別村となりそうで「天保国絵図摂津国」
 にあたると、草下部(日下部)村か中村になるが、字を示すものなら明治の地図から苅谷等も考えられる。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北東に望む
 奥、道場南口踏切  奥、八多川で行止り  奥、国道日下部交差点へ
 右端電柱下に道標】  右、道場川原へ】  石垣側に案内がある】

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【4.道標北面左下部 【5.道標北面拡大 【6.道標北面右下部
 「…さん田」の内  上辺右から  「…志やうか王ら」
 「ん」は分かり易い】  「右/國/左」と並ぶ】  と読める】

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【7.道標南面左下部 【8.道標南面拡大 【9.道標南面右下部
 「同行…」の左は  「文化元甲子…」から  「文化元甲子…」と
 道場と屋号人名か】  「當村/同行」は読める】  綺麗に読める】

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【10.北区東部の道標】
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