18.神戸市東灘区西岡本6の道標

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神戸市東灘区西岡本6−2−1 岡本九丁目交差点北60mのT字路西に30mの三ツ辻北西部、墓地前に東を正面に建つ
尖頭型角柱 60x17x11p(頂高3p)
N34.730352 E135.26461


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東面
┌─―――――――――――――――――┐
│左                 │
│ すぐ 不動山道          │
└――――――――――――――――――┘
(「左」は追刻で「右」に加工か)

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 明治廿七年七月          │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│   平田…            │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(明治廿七年は西暦1894年である。)
(「不動山」が「東灘区岡本9の道標」で述べた「不動山明王院」であるとすると、西面してこの辻に立った場合、
 右(北)に折れた後30mで左折(西)しなければならない。この状況を今の道標が示しているとは思えないので、
 どう解釈すべきか。ここで明治の地図を見ると当地点に辻は無さそうで東60mに三ツ辻が見え、北谷筋を登る道が
 西(左)に寺へ向う道から分岐している。この地点に東面して立っていれば「すぐ不動山道」で問題は無く「左」
 を付ける必要もないが、有っても不可ではない。よって
N34.730343 E135.265273
 甲南大学17号館の南辺りの三ツ辻(現四ツ辻風)からの移設としたい。
 尚、岡本九丁目交差点から北に現辻の東30mに接続する道は、昭和42年改測の地図から確認でき、何度かの移設
 を受けている様に思える。この途中で「左」が追刻され、現在地に移し「左」一部を加工し「右」とも見えるよう
 にしたとすれば、現状の東面を説明できると思う。)
(西面には施主の名前と思われるものがあるが、下部は石がはさまり読めない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北東に望む
 石垣前に当道標  右奥手前左、明王院へ  右、東60m南70mで
 ポール右明王院か】  左(西)新落合橋へ】  「岡本9の道標」へ】

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【4.道標東面拡大 【5.道標北面拡大 【6.道標西面拡大
 「左すぐ不動山道」  「明治廿七」  「平田」
 と読める】  と読める】  と読める】

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【7.神戸市東部の道標】
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