12.神戸市東灘区住吉山手3会館西道標

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神戸市東灘区住吉山手4−1−26 山田区民会館北西の三ツ辻西部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 110x20x24.5p(頂高9p)(南面下6pで折)
N34.727365 E135.258055


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│左り 妙見山道           │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│        施 主 中仁保兵衛 │
│古れより十一丁     六ヱ龍造  │
│        弓塲町 中仁つち江 │
└――――――――――――――――――┘
(「古」は変体仮名「こ」「塲」は「場」の異体字)

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(明治の地図から辻の様子を見ると、ほぼ現状と変わらずに山田区民会館を中央下部に置いたH型の辻である。H型
 の左(西側)に置かれたのがこの道標である。此処を北西に十一丁で妙見山を示すのであろうが、妙見山が分から
 ない。妙見山を日音寺の妙見大菩薩とする資料があるようで、これに従えば当地から500m程の距離となり、十一
 丁(1.1km)ではあまりにも多すぎる。依って移設とせざるを得ないが、この道筋で距離を合わせると山手幹線の
 南の郡家村中辺りとなる。一方、施主にある弓場町(現御影本町辺りか)を手掛かりとし、その近辺に置くと逆に
 距離が足りなくなると共に道筋が多岐にわたり推定は不可能である。
  又、このすぐ南にある灘目の水車の解説板に当道標のある道は明治20年山田から呉田に新設された村道1号と
 紹介されており、それ以前は辻さえもなかったのかも知れない。もしこの筋に立っていたものなら明治中頃以降と
 なるのではないか。)
(東10mに「会館東の道標」がある。
 住吉道の南に同じ妙見山を案内する「東灘区西地区会館の道標」が有ったようだ。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 右、灘目の水車  奥(北西)日音寺へ  奥、市立小林墓地へ
 突当り左に当道標】  左、市立小林墓地へ】  左(東)ととや道へ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面上部 【6.道標東面下部
 「左り妙見山道」  「古れより十一丁」  「施主/弓場町」の
 と読める】  と読める】  下に三人の名前】

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【7.神戸市東部の道標】
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