4.神戸市兵庫区東山町4の道標

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神戸市兵庫区東山町4丁目19 旧東山公民館玄関南東部(三ツ辻北部)に南西を正面に建つ
(湊町線熊野橋交差点南150mの旧道を30m南の三ツ辻でもある)
角柱 94x21.5x17p
N34.681762 E135.16301


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南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│  夢 野 氷 室 (社)     │
│左                 │
│  大日 大山寺 三(木)     │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 石井 烏原 山田        │
└――――――――――――――――――┘
(「烏」の上に何かあるが「烏原」とした)

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│南無阿弥陀佛為往来         │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では兵庫区4)
(同書に「兵庫方面から石井・天王谷・蓑谷方面への道と夢野・鵯越・三木方面への分岐点にあたり、ここにある地
 蔵を追分地蔵という。…兵庫区内では古い道標であろう。」とある。現在は20m北に追分地蔵が祀られている。)
(明治の地図では湊川の西岸土手上で、「東山追分地蔵」の名の通り、右(北東)へゆるく円弧を描き土手上を石井
 へ、左(北西)は熊野神社へ直線的に向かっている。前書の言う通りであろうがもう少し時代を遡ってみよう。
  国立公文書館デジタルアーカイブの「天保国絵図摂津国」では、石井から鳥原を通り東小部にでる右側の街道が
 無く、左、夢野から鵯越、白坂峠に繋がる道のみ描かれており、兵庫津から湊川の西を通り一里塚もある主要道で
 あったと思われる。南西面にある「左夢野…三木」は三木を除き、夢野八幡神社又は夢野大師、氷室神社、明泉寺
 (大日さん)、三身山太山寺の各寺社と思われ参詣に便を図る為の道標であったと考えられ、北西面の題目も納得
 がいく。
  一方、南東面の石井、烏原は村の名前に違いないが「山田」を村名とすると明治22年から昭和22年の間の新
 しいものと成ってしまい、「丹生山田荘」の様な地域名称と考える。村名なら「西小部」や「東下村」かと思う。
 神戸市の北区の道標(例「神戸市北区八多町屏風1053の道標」)では時々見かけ、一般的な地名かと思う。
 国絵図には載っていないが、奥平野村で有馬街道に出て、東小部村に至る主要な道であったと思う。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南東に望む
 奥左右、湊町線  右奥、北旧道石井へ  左木箱の後ろ当道標
 左、東山公民館趾】  左(北西)熊野神社へ】  奥(南)湊町線に合流】

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【4.道標北西面上部 【5.道標南西面拡大 【6.道標南東面上部
 「南無阿弥陀佛」  「左夢野…」  「右石井」と
 と読める】  上下が不均衡】  読める】

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【7.道標北西面下部 【8.道標南西面下部 【9.道標南東面下部
 「為往来」は  左「三」の下に  「烏原山田」
 通行人の為か】  「木」が有るらしい】  と読める】

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【10.北20mの地蔵を
 北に望む
 東山追分地蔵】

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【11.神戸市中部の道標】
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