12.神戸市兵庫区札場の辻不明の道標(不明である)

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神戸市兵庫区南仲町2 西国街道が北から西に向きを変える(札場)四辻、南西部か南東部に有ったと思う
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊の兵庫区11の内容を示す。)
角柱(残欠部) 
N34.668217 E135.173853
 


写真himg0311
元位置(正面)を南西に望む

正面(西面と想定)
┌─―――――――――――――――――┐
│左 京大阪道            │
└――――――――――――――――――┘

左面(北面と想定)
┌─―――――――――――――――――┐
│右 はりまミち           │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では兵庫区11)
(同書によると、「西国街道上の札場の辻に立っていた有名な道標の残欠である。…その後推定ではあるが三つに
 割れ、上部と中部の残欠は某家に保存されて、下部…は行方不明である。「右」の字の面は幅41p、「左」とある
 字の面は38pあり、…立派な道標であった…」としている。)
(『中国行程記』明和元年(1764)頃の出版には、小廣丁の南、高札場の北西四つ辻の南西角に石標らしきものが書
 かれその説明に
「此の棒杭ニ
  左大坂
     道ト有
  右播磨    」
 とある。
 『神戸の道標』と異なるのは左に「京」が抜けている。「大坂」が「大阪」と成っている。「播磨」と漢字になっ
 ている点で、この道標と同一と出来るかは少し疑問も残る。
 中国行程記は『絵図と歩くひょうご西国街道』大国正美、神戸新聞、2018年刊より参照。)
(尚、元位置とされる札場の辻には現在(2020)設置場所が異なると思うが、「南仲町2の道標」が有り、
 二基の道標があったのかも知れない。)

写真cimg1671 写真himg0325
【1.札場の辻跡解説板 【2.中国行程記部分拡大
 を北西に望む  三ツ辻左に白棒杭
 下に南仲町2の道標】  写真では見えないかも】

写真gimg6517
【3.神戸市中部の道標】
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