10.神戸市長田区長田町4の道標

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神戸市長田区長田町4丁目2 市立宮川小学校の西門の西北部に南を正面に建つ
(長田神社の北側、長福寺前でもある)
尖頭型角柱 156x27x21p(頂高2.5p)
N34.672020 E135.146569


写真himg0525

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写真himg0533

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│従是大日寺 太山寺道        │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│文化七庚午年 兵庫世話人 伊勢藤  │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│右長田宮 左兵庫道         │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(文化七(庚午)年1月1日とすると、西暦年月日曜日となる。)
(近辺で大日寺道上で長田の宮と兵庫が左右に分かれる道を探すと、候補地は二点しかない。一点は現地の西10mに
 ある川沿いの三ツ辻、もう一点は南東160mの長田神社南東角の四辻である。各々を見てみよう。
(候補1は、西10mの三ツ辻北東部に現南面が少し西を向いて立っていて、現西面が北から来る人にほぼ正面のよう
 に見えていたと想像する。そうすると、右は川に沿って少し下り長田神社の参道口へ向い、左は小学校の西、神社
 の東を通り現高速長田駅に出て兵庫に向かう道を示したものと出来る。難点は右長田宮道が、今でこそ散歩道の様
 に整備されているが、文化七年に通行が可能であったかを
  国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [10]のコマ番号3の絵で見ると、川で行く手を遮られ
 ているように見え一度西に川を渡るか、川床へ下り今の参道筋に出る必要が有ったかも知れず、この様な道を案内
 するか不安である。明治の地図では候補の辻には橋が無いが南の参道口までの間に二ヶ所に橋が見え、この頃なら
 可能であったと思える。
  候補2を見ると、左右の案内と道の有無などは心配ないが、右、長田宮の鳥居迄が僅か70mしかなく見える位置
 でもあり、案内を必要としたかが問題点となる。ただ、明治の地図を見るとその北10mに南西にショートカット
 する様な道があり三ツ辻となっており、此処なら有ってもおかしくない。
 依って、候補地2の長田神社東の赤い鳥居の東
N34.671049 E135.147696
 辺り、今は神社の石垣が曲がる辺り、昔は三ツ辻南部に現西面を北面させて立っていたとしたい。
 この時「是より大日寺…」は西面しつつ北への道を示す事になる為、辻の東部に立っていたかも知れない。)
(北は「長田区明泉寺町2の道標」に続き、兵庫に向かうと「長田交差点北西の道標」に繋がる道標であった。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北東に望む
 左川に出て北、大日寺へ  奥(南)長田駅へ  後(東)宮川小学校
 奥、長福寺の境内】  右壁内は長田神社】  左、長福寺の境内】

写真himg0535 写真himg0541 写真himg0542
【4.道標西面拡大 【5.道標南面拡大 【6.道標東面上部拡大
 「右長田宮」  「従是大日寺  「文化七庚午」
 と読める】  太山寺道」とある】  と読める】

写真himg0538 写真himg0540 写真himg0545
【7.道標西面拡大 【8.道標南面拡大 【9.道標東面下部拡大
 「左兵庫道」  「太山寺道」  「…伊勢藤」
 左右を一行に書く】  二面ともに「道」】  と読める】

写真himg0522 写真himg0983
【10.候補1を南に望む 【11.現東の赤鳥居を北に望む
 奥(南)への道が  元位置候補2は
 有ったかどうか】  この右(東)側の辻】

写真gimg6517
【12.神戸市中部の道標】
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