11.神戸市須磨区大手町9丁目勝福寺境内2の道標

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神戸市須磨区大手町9丁目 勝福寺境内北東部、鐘楼の北側に南を正面に建つ
(東隣に「福寺境内1の道標」が建つ)
山型角柱 66x14x9p(頂高6p)
N34.660805 E135.126727


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写真himg1171

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│桂尾稲荷社 (北三丁)         │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│大…    施主            │
└――――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では須磨区3)
(同書には「大手町1丁目山陽電鉄踏切北」とあり、掲載の写真からは現在東隣にある「勝福寺境内1の道標」の北に
 置かれていた様に見える。同書には「桂尾稲荷社」の下に「北三丁」としており、これが無ければ道標とはならず、
 神社標と成ってしまう。現在(2020)では下部は埋設され読めない。当時の高さが77pとあるので折れていなけれ
 ば確認できる可能性がある。
  元位置は「福寺境内1の道標」と同じ、勝福寺山門から三丁南の第一候補地点、須磨区大手町2丁目5の
N34.658346 E135.128679
 現、オノ桐神社(小さな祠があるだけ)の東の辻に置かれていたものとなろうが、同書に「桂尾稲荷は勝福寺北方
 の山中にあった小祠という。」としており、これを信じると上記より北に無ければならなくなる。
  神戸市地番参考図(須磨区)に「字稲荷尾」が勝福寺の西にある様でこれ等関係あるかも知れない。)
(同書に北面を「背面に施主名があるようだが、剥落がはげしく判読困難…」とあるが、上部に「大」と見え数文字
 分空いて「施主」と続き以下埋没している。「大」の下に「六」又は「八」と見えるので、紀年であれば「大正六
 年」等かもしれない。「大」の付く年号で大正の前は「大永」で1521年と可能性はないが、「天」とすれば別。)

写真himg1143 写真himg1180 写真himg1523
【1.道標を北に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南西に望む
 八十八ヶ所の左  目立たぬ様に  八十八ヶ所道標の右
 当道標は見えず】  置かれたのか】  竹垣に接して建つ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標西面中部 【6.道標北面上部
 「桂尾稲荷社」  文字等は  「大」は間違いないと
 までは見える】  ないと思う】  思うがどうか】

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【7.道標南面下部 【8.『神戸の道標』にある 【9.道標北面下部
 この下に  山電踏切北の辻は  「施主」
 北三丁があるか】  此処では無いか】  と読める】

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【10.神戸市南西部の道標】
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