8.神戸市須磨区北町3の道標

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神戸市須磨区北町3丁目4 妙興寺東山門前北側に東を正面に建つ
尖頭型角柱 146x21x21p(頂高3p)(台石20x54x54p)
N34.650387 E135.123258


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東面
┌─―――――――――――――――――┐
│本能寺               │
│   両末派妙興寺         │
│本興寺               │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│是与利めう古うし道         │
└――――――――――――――――――┘
(「是より妙興寺道」か)

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│元祖日蓮大菩薩開基日髑蜿辮l    │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│古禮與利月見濃松道         │
└――――――――――――――――――┘
(「これより月見の松道」か)


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では須磨区5。)
(案内を見る限り、現在位置に置かれていたとは思えず、寺標替わりに移設されたものであろう。案内に相応しい元
 位置を明治の地図で探すと、現在(2020)「月見山妙興寺参道」の石標がある地点
N34.649715 E135.123737
 辺りで、旧西国街道北側と考える。
 此処に現東面をほぼ南面して建てると、寺への道(参道)は正対する北を指し、左面(現南面)は西側を向くので
 60m西、或いは160m西の月見山本町2交差点(「月見山本町2の道標」が建つ)へ進み、その後北に折れ浜離宮
 の月見松への案内とするか、参道と同じ道を指すとするかのいずれかとなる。
 南面の「月見濃松道」は国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [10]のコマ番号25に載る「行平
 月見松」とすると「東須磨の北の尾崎にあり、古松の大樹七本…」とあるが尾崎が不明である。
 取り敢えず今の須磨離宮公園と見当を付けると、西国街道からは妙興寺の北を廻り西の離宮公園への道に出る事が
 でき、西国街道を南西に進み「月見山本町2の道標」で北に折れるよりやや近い様にも見え、妙興寺参道と同じ道
 を指すとして良いと思う。そうなると辻の角ではなく、北に入り込んだ位置に置かれていたかも知れない。)
(『行程記』に東須磨村中、薬師寺より西で、馴染松より東に、北への三ツ辻が書かれ、北西部に高札、北東部に
 「此棒杭妙興寺道ト有り」と記されており、当道標がその棒杭に当たる可能性もあるが、高札場が不明な為調査を
 必要とする。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標から南を望む
 右奥(北)山電へ  奥(西)妙興寺  奥(南)西国街道へ
 背後、西国街道】  左、西国街道へ】  右、当道標上部】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面拡大 【6.道標北面拡大
 「…月見濃松…」は  「…両末派…」  「…めう古うし道」
 妙興寺道を示すか】  の意味は知らない】  「妙興寺道」が主か】

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【7.道標西面下部 【8.西国街道に立石標を
 「…日髑蜿辮l」  北に望む、門前迄
 が開基の寺か】  1丁(109m)程】

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【9.神戸市南西部の道標】
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