8.摂津市別府1の道標

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摂津市別府1-6-21 府道147号朧ヶ橋南詰旧道を南西へ230mの三ツ辻北部に西を正面に建つ
(あいあいホール別府の入口前西側でもある)
尖頭型角柱 171x27x28p(頂高7p)
N34.767578 E135.554399


写真himg1860

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写真himg1870

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西面
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│               願主先達平次郎│
│(梵字)奉供養大峯山上丗三度願満為自他安楽也│
│                左 大阪  │
└――─―――――――――――――――――――┘
(梵字は「カーン」不動明王の種子か)
(「養」は「美」の右に「良」と彫る)

南面
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│元岩山組 大阪世話人 帯屋伊兵衛      │
└――─―――――――――――――――――――┘

東面
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│干時 文政十年丁亥八月吉祥日 建正与    │
└――─―――――――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――――――┐
│         …屋伊助         │
│北岩山組 世話方              │
│         惣講中          │
└――─―――――――――――――――――――┘


(文政十(丁亥)年八月1日とすると西暦1827年9月21日金曜日となる。この年6月に閏月あり。)
(『摂津市の道標』市文化財愛護会、平成20年刊では8)
(地元の方の話では近辺からの移設であるとのこと。明治の地図では南北の乙辻街道と思われる道に南東村中からの
 道が突き当たる三ツ辻に見えほぼ元位置と思える。南東の村中からは他所に繋がる大きな道はなく、道標が必要な
 辻では無いと思う。供養塔が主であり、「左大阪」は追刻の可能性もある。本岩山組や北岩山組は講のような組織
 の名前であるともお聞きした。)
(「左大阪」は乙辻街道を南へ進み江口から大阪とすれば、当辻にある限りは現行の向きは正しくなく辻の形状から
 して180度回転させられていると思う。)
(大阪と逆に北へ進めば「浜町7の道標」に出会う。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南に望む
 奥(北)朧ヶ橋へ  奥(西)村中へ  奥、旧堤防上を
 右、村中へ】  元は少し東らしい】  神崎川迄乙辻街道】

写真himg1889 写真himg1874 写真himg1890
【4.道標南面上部 【5.道標西面上部 【6.道標東面上部
 「世話人帯屋…」が  梵字に続き  「文政十年丁亥八月」
 目立つのは如何か】  「奉供養大峯山…」】  と綺麗に残る】

写真himg1901 写真himg1912 写真himg1891
【7.道標北面最下部 【8.道標西面下部 【9.道標東面下部
 右側「…屋伊助」か  左側「左大阪」  「丁亥八月…」は
 左「惣講中」の「中」】  これだけで道標とした】  「ひのとい8月」】

写真dimg2468
【10.摂津市の道標】
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