6.摂津市浜町7の道標

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摂津市浜町7-2 府道147号安威川橋南詰を南西に160m小橋の南西部に北を正面に建つ。
自然石 84x57x38㎝(龕部61x32x-3㎝)
N34.769613 E135.553218


写真himg1938

写真himg1926

写真himg1928

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北面
┌────――――――――――――――┐
│  右 すい多           │
│大碇浅右衛門            │
│  左 とり加い 世話人中     │
└――─―――――――――――――――┘
(「多」は変体仮名「た」「右、吹田」「左、鳥飼」)

西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

南面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『摂津市の道標』市文化財愛護会、平成20年刊では№6)
(同書に元の位置は道の東側とある。明治の地図で見ると、味舌下村(現三島二丁目)辺りから乙辻街道を南下して
 きて、安威川橋を渡り、道標北の水路を越えた四辻で、南への道が少し筋違いになっている。即ち、小橋を渡った
 正面(道の南)東寄りに北面して立っていたものと思う。尚、南への道は村中に入るだけで旧安威川は渡れない。
  道標の名前からすると力士のように思え江戸後期の建立とし、明治の地図が当時の道筋をよく残しているはずで
 これを適用する。安威川は本流が南の現番田水路鳥飼三箇放水路で、今の安威川は細く左岸堤防上を当地から吹田
 市南高浜へ続く道が見える。依って「右すい多」はこの道を示したものであろう。現在は安威川歩道橋辺り迄は旧
 道が残り、先は遊歩道として続いている様に思えるが未調査である。
  「左とり加い」は100m程水路に沿って東に進み、今の朧ヶ橋の地点で当時の本流の安威川を別府に渡り、乙辻
 街道から分かれ、左岸堤防上を北東に新在家から鳥飼八防への道を指すと思われる。こちらは中環迄は道が残る。)
(当道標は明治期の乙辻街道の道筋と思われ、北直線1kmに「三島2の道標」があり、南へは道なりに400mで
 「別府1の道標」がある。)
(力士の顕彰とするなら上記「三島2の道標」を参照下さい。)

写真himg1956 写真himg1921 写真himg1918
【1.道標を南に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北に望む
 青色欄干右に道標  奥、旧乙辻街道か  奥乙辻街道道なりに
 元は左電柱辺りか】  朧ヶ橋北詰へ】  安威川橋南詰へ】

写真himg1948 写真himg1944 写真himg1945
【4.道標北面左上部 【5.道標北面拡大 【6.道標北面右部
 「左とり加い」と  「大碇浅右衛門」  「右すい多」と
 読める】  力士顕彰碑が】  読める】

写真himg1949 写真himg1952 写真himg1924
【7.道標北面左下部 【8.道標北面上部 【9.道標を南に望む
 「世話人中」  「大碇浅…」  字面を額縁にし
 とした】  とした】  中央に人名を彫る】

写真himg1958
【10.道標を南東に望む
 右、安威川歩道橋へ
 乙辻街道は左から左奥へ】

写真dimg2468
【11.摂津市の道標】
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