7.大阪市東淀川区大桐3−9の道標

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大阪市東淀川区大桐3−9−8 東淀川大桐郵便局の五辻から北東へ140mの大桐公園の南四辻を北西に100mの
三ツ辻の東部のに北東を正面に建つ
板碑型四辺形柱 52x24x15p(西高52p、西幅10p)(基部高9p含、4p出張あり(幅に含まず))
N34.747758 E135.545116


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南面
┌─――――――――――――――┐
│  大とう村         │
│右              │
│  大沢寺          │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│右 大坂           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│左 江口           │
└―――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、596
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では20頁-2)
(『大阪の街道と道標』設置位置は判然としないが、『博物館研究紀要』では東淀川区大道町2丁目39とあり現在
 地と思われるので1971年からは移動していないと思われる。
 辻の形状に対して45度の角度が付けられ設置した板状の石碑は三面共に見易くなっており、断面形状もやや台形の
 如く削りだされている。これ等も元位置のままとする根拠になると思う。
  さて、南面の案内が「右」を中央に「大とう村」、「大沢寺」と二行に書かれており、一見二ヶ所の地名かと思
 われるが、中央下部に「道」が無く、設置位置が「大桐村」の中心地でもある為、「大桐村の大沢寺」を案内した
 ものであろう。現在(2020)でも350m先に「本門法華宗大澤寺」と札が下る北門がある。明治の地図を見ると、
 その先は今の豊里大橋の南に続き、淀川を舟で渡り対岸平田に出る道が見え、これが中島街道であったと思われる。
  尚、この辻を北東に180m進むと東頭(ひがしら)地蔵尊祠へ続き「大桐3の道標」にも、
 江口への案内が見られるが、私見ではその道標は元この辻の西の突当り部に有ったとした。)

写真himg2410 写真himg2408 写真himg2409
【1.道標を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南東に望む
 右(北東)江口へ  奥(北東)江口へ  奥(南東)大澤寺へ
 10m先左、大阪へ】  右、大澤寺へ】  左、東頭地蔵尊祠へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標上面拡大 【6.道標南面拡大
 少し余裕がある  辻の形状に合わせた  右側「大とう村」は
 設置が元を示すか】  形と思われる】  「大桐村」であろう】

写真himg2437 写真himg2423 写真himg2429
【7.道標西面拡大 【8.道標南面拡大 【9.道標北面拡大
 「左江口」  「右/大とう村/大沢寺」  「右大坂」
 は江口村への案内】  は大澤寺への案内か】  と読める】

写真himg2315
【10.大阪市東淀川区の道標】
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