8.大阪市東淀川区大桐3の道標

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大阪市東淀川区大桐3−20 東淀川大桐郵便局の五辻から北東へ370mの三ツ辻を西へ60m突当り三ツ辻を
南西に20m(次の三ツ辻の手前)の道北西側の東頭(ひがしら)地蔵尊祠の西に北東を正面に建つ
(大桐中学校西角から100m西でもある。)
自然石風角柱 65x20x19p(基部高9p含む)(基部南東2p、南西5p出張がある。)
N34.748775 E135.546853


写真himg2460

写真himg2462

写真himg2464

写真himg2466

北東面
┌─――――――――――――――┐
│右 大坂           │
└―――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――┐
│左 江口済し         │
│  @より右         │
└―――――――――――――――┘
(「済し」、@は下記を参照下さい)

南西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

南東面
┌─――――――――――――――┐
│志一本            │
│ 宇江氏           │
└―――――――――――――――┘
(「志」は「十八」等とも考えられる)


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、597
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では20頁))
(同書の南西面の読み下しが「江口渡し」となっているが「渡」に見えない。ひらがなの「し」を長く伸ばして左側
 に書くのは良く見受け、右側を一文字と見れば「斎」等に見える。
  そこで「済」のくずし字のサンズイと送り仮名の「し」をデザイン的に繋げて、長い「し」の様に表し、「済し」
 と書いたとする。読みは「わたし」である。こうすると「江口渡しより右」となり不自然は無くなるが上に「左」
 と案内があり渡し場へは左に進むものと理解できるが、左下にある「@より右」が何か不明である。
  同書では@を「是」とし「是より左へ」とあるが「是」の字がよく見えず、「右」を「左」としている点が私見
 と異なる。ただ、「是より右」とすれば渡しと繋がり、道標の「左側を右に進み江口の渡し」へと受取れ、不自然
 ではなくなる。尚同書の最後の文字「へ」が有るとするなら非常に扁平な「へ」になりそうで無とした。)
(次に元位置と案内の関係を探ると、『大阪の街道と道標』では大桐2丁目か3丁目に有ったが行方不明としており、
 『博物館研究紀要』では東淀川区大隅通1丁目164とあり現在地近くであろう。
 2020年3月迄は大桐3−14−55の三宝寺振興町会西の稲生神社に置かれていた様に思うが、2020年11月現在
 では当地に移設されている。これは稲生神社を大隅神社に移すにあたって、道標だけがここに移されたものと想像
 できる。稲生神社ご近所の方の話では「道標については分らない。」との事でした。しかし稲生神社内も元の位置
 としては相応しくなく、此処へも移設されたと考える。明治に入って中島街道と称される以前の道を、明治の地図
 で見当を付けると、淀川西岸辻堂から当道標のある大桐村中を西に抜け菅原に出る道が見え、これが大坂への道と
 考えられる。可能性の高い辻は、当地から南西10mを北西に折れ、20mにある三ツ辻と思われ
N34.748799 E135.546583
 東淀川区大桐3−9−25の東辺りとなる。
 この辻の南部に現北東面を北面させ建っていたならば、「右大坂」は南西へ向い、西面となる「左江口…」がやや
 苦しいが南東へ進むと受け取れ、ジグザグではあるが、大桐中学校から大隅神社へと続き辻堂村から北へ江口とな
 り、案内の整合性はとれる。
  尚、この辻を南西に180m進むと「東淀川区大桐3−9の道標」に出て、大阪への案内が見れる。
  此処迄書いた後に、上記の道標から稲生神社までが60mしかない事に気づき、同じ辻に立っていたならどうかと
 思い考えてみた。碑面の案内を満足させるには辻の南西部(北東から江口から来て突当り)に現在の向きのまま置
 くと、「右大坂」は北西に折れ10m進み又南西に折れれば良く、その道筋を逆に来た者には北西面の「左江口…」
 が眼に入り、北東に折れ道なりに東頭(ひがしら)地蔵尊に辿り着く。同じ辻に有る道標の片方(邪魔な方)を移
 設する事は良くある。旧移設地からより近い点でこちら
N34.747746 E135.545050
 東淀川区大桐2丁目16−14のT字路の突当り部を元位置としたい。現在の設置方向が地蔵尊祠の正面に向けら
 れておらず妙な気がするのは、元位置での設置方向を保ったまま移設したものと考えるのは穿ち過ぎであろうか。)

写真himg2448 写真himg2449 写真himg2450
【1.道標を南西に望む 【2.東頭地蔵祠を北東に望む 【3.道標を北西に望む
 ブロック塀を右へ  道標は塀の後ろ  左端に当道標
 街道筋、祠左道標】  右へ折れ大桐中へ】  「右大坂」が祠を向く】

写真himg2509 写真himg2471 写真himg2472
【4.道標を西に望む 【5.道標北東面拡大 【6.道標南西面上部
 背面を除き  「右大坂」  「左江口…」迄は
 三面に文字がある】  と読める】  間違いないと思う】

写真himg2478 写真himg2490 写真himg2474
【7.道標南東面拡大 【8.道標南西面下部左 【9.道標南西面下部
 施主か、右は「十八」  「…右」と読める  右側「済し」左部は
 「亥」等にも見える】  その下は基部となる】  サンズイ扁+「し」】

写真himg2441 写真himg2410
【10.稲生神社を西に望む 【11.道標元位置を北西に望む
 社標の後ろに此処でも  左ポスト辺りに有ったか
 北東面して建っていた】  右は「大桐3−9の道標」

写真himg2315
【12.大阪市東淀川区の道標】
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