10.大阪市福島区海老江6の道標1

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大阪市福島区海老江6−4−2 海老江八坂神社境内南部外塀脇に北西を正面に建つ
(二基の内北側の小さい方、南側は「海老江6の道標2」
尖頭型角柱 75x19.5x20p(頂高4p)
N34.698720 E135.470764


写真himg3246

写真himg3522

写真himg3244

写真himg3526

北西面
┌─――――――――――――┐
│右 大阪道        │
└―――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――┐
│  飛へじま       │
│左     道      │
│  阿満         │
└―――――――――――――┘
(「飛へじま」は「稗嶋」で今の「姫島」か)
(「阿満」は変体仮名で「あま」「尼崎」か)

南東面
┌─――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――┐
│ 四家豊吉        │
│ 新家槌松        │
│ 西岡伊之助       │
└―――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、609)
(南西面「ひへしま」は「稗嶋」で今の「姫島」に当たり、「阿満」は仮名で「あま」とし「尼崎」とすれば問題は
 無くこの辺りからなら旧中津川を越え西へ向う道と出来る。北西面の「右大坂」を野田へとするか、福島へとする
 かが問題となる。近くにある「大和田街道、梅田街道」顕彰碑に従えば、福島を目指す東への道となる。これは、
 明治23年の地図では、東の福島から海老江村に入り当地を通過し、一度南西の現阪神淀川駅に出た後、旧中津川
 堤防上を北に上り、稗嶋村(姫島)のすぐ東地点で渡しを渡って西に進み、大和田村へも北に迂回した後、達する
 道が見える。これが明治44年の地図では新淀川が開削され大きく地形が変わり、現在(2020)に近い道路状況と
 なり海老江から稗嶋へは西成大橋(現淀川大橋)が架かり、分断された伝法・稗嶋間に新たな稗嶋渡しが架けられ
 ている。
  こう述べたのは設置年代により道筋が変わる可能性が有る為で、明治の早い時期迄の建立であれば、「左稗嶋、
 尼崎」が南西の道を指し、新淀川開削後なら、置かれた辻によっては北西の道を指示する事になるからである。
 (注、新淀川開削は計画から完工迄、明治29(1896)年から明治43(1910)年。大阪府HPより)
  では、設置年代を考えてみると、施主全員に苗字があり、明治8(1875)年の「平民苗字必称義務令」以後と思
 われる。これでは決めかねるが、「新家」に注目し新家村の住人では無いかとすると、新川開削後に川向うの施主
 は考えにくいので明治8年以降から明治29年頃迄の間と考える。依って新淀川開削前で「左稗嶋」は南西を指し、
 「右大坂」は東又は北を指すとしたい。
 これに相応しい辻は現鳥居前の三ツ辻
N34.698758 E135.471061
 辺りで、現北西面を南西に向けて立っていたとする。
 これは稗嶋村から旧中津川を渡り、堤防沿いに一度南へ下りその後反転して南西から八坂神社前に来て大坂を目指
 す時、神社沿いに直進して南佳寺の門前に行かないよう(遠回りとなる)に、右折を案内したものであろう。逆に
 大坂から来た人には、鳥居前南東10mの三ツ辻を西に曲がって正面に「左稗嶋…」が見える。未記入の面を考える
 と、鳥居の南支柱或いは狛犬の南に建っていたとし、30m西への移設としたい。)

写真himg3253 写真himg3254 写真himg3255
【1.道標を南に望む 【2.道標を北西に望む 【3.正殿南東横の倉庫を
 左側、当道標  右側、当道標  南西に望む
 右後ろ外塀】  左側、大正の道標】  倉庫右より裏を廻る】

写真himg3527 写真himg3539 写真himg3535
【4.道標北西面拡大 【5.道標南西面下部 【6.道標北東面下部
 「右大坂道」を  「飛」は変体仮名「ひ」  「新家槌松」の
 正面とした】  「稗嶋(ひえじま)」】  「槌」はあやしい】

写真himg2312
【7.大阪市福島区の道標】
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