2.大阪市此花区伝法6の道標

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大阪市此花区伝法6−4−4 国道43号下の正蓮寺川北岸道を西へ350m堤防道と合流部三ツ辻を北に30m、
正面山門左に南東を正面に建つ
尖頭型角柱 88x215x20.5p(頂高4p)
N34.685357 E135.448481


写真himg3608

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写真himg3615

南東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│南無妙法蓮華経             │
└――――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│明治二己巳七月建之 網政        │
└――――――――――――――――――――┘
(「網」の右、構えの中は「メ」とす、異体字か)

北西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│右 尼 西ノ宮道            │
└――――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│左 大阪道               │
└――――――――――――――――――――┘


(明治二(己巳)年七月1日なら、西暦1869年8月8日日曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、602)
(明治二年とあるから、勿論新淀川は無く道の状態は江戸末期と同じと考えられる。
 正蓮寺は、wikiに「日蓮宗、安政六年大地震で崩壊、明治七年十二月世顕妙檀家の協力で再建」とあり、
 道標建立時点では本堂等無かったかもしれないが、題目をして当山の前に置かれていても問題は無かろう。
 よって元位置とみて案内を見る。
  解り易い南西面の「右尼・西ノ宮道」を明治17〜23年地図で見ると、直線で寺の北に抜けると150m程
 で当時の街道に出そうであるが、境内の通過は無いであろうから左右(西・東)何れかに進まなければな
 らない。現在でも此花通りに出るには西(左)に寺を廻り込む方が近く「西念寺前の道標」に繋がってい
 くので、門前を西に案内すると考え、今の設置向きより時計回りに45度廻して建っていたと思う。この時
 現南西面の「左大阪」は東を指す事になり、現森巣橋の北詰に真っすぐ向かい、前述道標の「尼崎本街道」
 とする道に合流し、「大阪」中心部への道(下図では下福島村)として地名を表したもので違和感はない。
 この東への道は現在(2021)では30mで団地になり途切れているが、道の痕跡らしきは感じられる。
  この様に向きを変えた時見易さを考えると現位置では不適当で、紀年銘が裏側になっていたとして辻の
 南東部に置かれ、お題目の面が南面し山門と同じ向きになっていたと思う。近接移動としたい。)

写真himg3603 写真himg3604 写真himg3605
【1.道標を北西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 左奥、突当りを北は  題目が目立つ様にか  奥、30mで途切れるが
 現、此花通りへ出る】  不自然に置かれる】  昔は森巣橋北詰へ】

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【4.道標北東面上部 【5.道標北西面上部 【6.道標南西面拡大
 「明治二己巳七月…」  「右尼西ノ…」  「左大阪道」
 右面「尼崎本街道」】  道標としては正面か】  と読める】

写真himg3620 写真himg3622
【7.道標北東面下部 【8.道標北西面下部
 「…建之 網政」  「…西ノ宮道」
 「網」は異体字か】  と読める】

写真himg3794
【9.明治17〜23年地図
 道標から東は森巣橋へ
 北へは寺を西に廻る】

写真himg2312
【10.大阪市福島区の道標】
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