9.大阪市天王寺区逢阪2の道標

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大阪市天王寺区逢阪2−8 松屋町筋南端、公園北口交差点の南東角の歩道上に西を正面に建つ
角柱 150x49x52p(頭部2p)
N34.653668 E135.509867


写真himg4144

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写真himg4148

写真himg4151

西面
┌─――――――――――――――――┐
│すぐ 天王寺 平野  藤井(寺) │
│左  松屋町 八軒家 天満天(神)│
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

南面
┌─――――――――――――――――┐
│明治丗年十二月 天王寺茶臼山   │
│         観音寺住職   │
│  施主      松岡良(音) │
│祝 静明上人八十八歳建之     │
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『市立博物館研究紀要』より)

東面
┌─――――――――――――――――┐
│右  二ツ井戸 八軒家 天神(社)│
│すぐ 今宮 木津 なん(ば)   │
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

北面
┌─――――――――――――――――┐
│右 今宮  木津 なん(ば)   │
│左 天王寺 平野 道明(寺)   │
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)


(明治丗(30)年は、西暦1897年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、34
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、27頁)
(東西の国道25号に北からの松屋筋が突き当たる地点である。明治27年頃の地図では東西の道は見えるが、北か
 らの道は無く、今の下寺町三丁目辺りで人家も途切れている。この道標に明治三十年とあるのでこの時に開通した
 ものか、或いは開通後に建てたのであろう。西を正面としたのは最初に写真を撮っただけである。)
(角柱としたが水きりの為か上面中央部が2p程度高くなっている。歩道整備の為か下部が一文字程度隠されている
 様である。上記参照資料で一字を補った。
  行き先の中で「二ツ井戸」とあるのは、中央区日本橋に有ったらしい。天神社は天満の天神であろう。平野は近
 くの平野町では無く平野郷(平野区)と呼ばれる地域であろう。木津は今宮の西、難波の南辺りの旧木津村と思う。
 道明寺は藤井寺市の寺であろう。施主にある観音寺は南東250m、「茶臼山公園北入口東側の道標」の西30m程に
 有る寺であろう。南への道を道なりに台地を登り切った北側である。)

写真himg4141 写真himg4142 写真himg4143
【1.道標を北東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を東に望む
 右奥、四天王寺前へ  奥(西)恵美須町へ  奥(東)坂を上り
 左奥(北)松屋町筋】  右、松屋町筋】  谷町筋四天王寺前へ】

写真himg4157 写真himg4158 写真himg4152
【4.道標西面下部 【5.道標南面下部 【6.道標北面下部
 「藤井(寺)」  施主人名は  「今宮、木津…」
 「天満天(神)」】  「…良(音)」とした】  「天王寺、平野…」】

写真himg4159 写真himg4161 写真himg4160
【7.道標東面下部 【8.道標北面下部左 【9.道標北面下部右
 「天神(社)」  「道明(寺)」  「なん(ば)」
 「なん(ば)」か】  は納得できる】  であろう】

写真himg2317
【10.大阪市天王寺区の道標】
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