5.大阪市北区天神橋2の道標

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大阪市北区天神橋2−1−8 大阪天満宮、南西(蛭子)門入ってすぐ東(老松神社西横)に北を正面に建つ
尖頭型角柱 31x18x14p(頂高3p)(南面上部から15pに角穴7x7x4p)
N34.695611 E135.512288


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北面
┌─――――――――――――――┐
│すぐ 天           │
│   堀 ゑ         │
│左              │
│   川 妙         │
└―――――――――――――――┘
(「ゑ」は「恵」、「愚」等もあるか)

西面
┌─――――――――――――――┐
│左 どうじ          │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│嘉永三戌□          │
└―――――――――――――――┘


(嘉永三(庚戌)年1月1日とするなら、西暦1850年2月12日火曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載)
(行先を見ると、想像で「どうじま」「天満」又は「天神」であろうか。北面の「左」の下が横に書かれているとす
 れば「堀川」戎等と読めるが奇妙であり、縦に読み二字目を「ゑ」とし「堀ゑ」なら「堀江」と出来るが、「愚」
 とすると「堀愚」となり心当たりが無く、左端の「川妙」も不明。
  紀年銘と思われる「嘉永三戌」は三年の干支が「庚戌」なので「三戌」とあっても良くその後が「年」か「四」
 に見える。)
(道標の置かれている横の神社がここに移された時一緒に移設されたものではなかろうか。とすれば老松神社の元位
 置(由緒書きには「旧老松町三丁目」)近くの辻の可能性が高くなる。現在も老松通りの名が残り、新御堂筋東の
 入口辺りには「西天満4の道標」もありこの通り沿いか、
 少し北に離れるが、現曽根崎1丁目6辺りに久松寺と並び天神とする古絵図もありこの範囲ぐらいを調査したい。
 又、南面のホゾ穴から橋の欄干として使っていたと推測するなら、範囲はもっと絞り込めるであろう。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を南に望む
 奥、本殿が見える  老松神社は平成に合祀  朱社の右下当道標
 石柱の間に当道標】  南西門右は商店街へ】  設置場所に違和感】

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【4.道標東面拡大 【5.道標北面拡大 【6.道標西面拡大
 「嘉永三戌」までは  「すぐ…」は縦書き  「左どうじ」「じ」の
 ハッキリと読める】  「左」の下は???】  「゛」は右に離れる】

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【7.道標北面下部左 【8.道標北面下部中 【9.道標南面拡大
 左下「妙」とある  中央下部読めない  橋の欄干として
 上下なら「川妙」】  取敢えず「ゑ」とした】  使われたか】

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【10.道標を南東に望む 【11.老松神社由緒書きを 【12.天神南西門を北東に望む
 左側の面が18p  南に望む、元は  左楠の下に当道標
 同右側14pと狭い】  旧老松町三丁目とある】  右奥(東)南門へ】

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【13.大阪市北区の道標】
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