18.大阪市天王寺区上之宮町4の道標

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大阪市天王寺区上之宮町4−40 天王寺図書館西のマンション玄関の前栽中に北を正面に建つ
角柱 81x18.5x12.5p(下から30、54pで折損)
N34.661677 E135.521379


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写真himg4328

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写真himg4334

北面
┌─――――――――――――――┐
│    是ヨリ        │
│上之宮            │
│     壹丁東       │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│吉田殿家           │
│    神楽(方)中     │
└―――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│文政十三庚寅年三(月建)之  │
└―――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)


(文政十三(庚寅)年三月1日とすると、西暦1830年3月24日水曜日となる。文政は12月9日まで。この年閏三月
 あり。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、221A
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載)
(西面の「吉田殿家」はweb『日本大百科全書』に「吉田神道、京都市左京区吉田神楽岡(よしだかぐらおか)の
 吉田神社の神職吉田家で唱えた神道の一流派。」とある事から、欠損部は『大阪の街道と道標』の読み「方」では
 なく「岡」であるかも知れない。「吉田(卜部)兼倶(かねとも)の主張に基づく」の意味を示したものとして、
 単なる施主「神楽社中」ではないと思うのだが、如何か。)
(又、当道標の右隣りに「上之宮趾」碑があり当碑が道標の案内する所なら、此処より西1丁(109m)に置かれて
 いた事になる。上之宮趾の真偽は別として明治期以前には当地に上之宮神社が有った様でこれへの案内として良く、
 明治期の地図より元位置を推定すると、190m(約2丁)西の天王寺区上之宮町10−9
N34.661700 E135.519261
 辺りの辻(弘化改正大坂再見絵図では三ツ辻)の北東部に現北面を西面して置かれていたとしたい。)
(尚、当道標と直接の関係は無いと思うが、「北区中津7の道標」は、ここの住人が書いたものかも。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を南東に望む
 右、国際交流センタへ  左、当道標  左、当道標
 左(東)天王寺図書館】  右、上之宮趾碑】  玄関を東に細工谷交差点へ】

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【4.道標東面上部 【5.道標北面上部 【6.道標西拡大
 「文政十三庚…」  「上之宮…」  「吉田殿家」
 干支より十三年】  と読める】  「神楽(方)中」】

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【7.道標東面中部 【8.道標北面下部 【9.道標南面拡大
 「…十三庚寅年三…」  「是ヨリ」間が空過ぎ  下部の欠損は大きいが
 庚寅は間違いなし】  「壹丁東」か】  文字は見当たらない】

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【10.道標東面下部 【11.東横のその他石碑
 「年三…」の下は  右は「生田花朝女生誕地」
 「月 建」で良さそう】  左は「上之宮舊址」碑】

写真himg2317
【11.大阪市天王寺区の道標】
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