7.大阪市東成区大今里4の道標

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大阪市東成区大今里4−27−15 国道308号千日前線に旧道が合流する四辻の北西部に北西を正面に建つ
常夜灯型 竿部142x35x35.5p(火袋の枠上から7pより23x24x-1p)(火袋自体19x20pで貫通)
N34.667744 E135.549197


写真himg5579

写真himg5582

写真himg5587

写真himg5577

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│        なら      │
│(火袋穴)左    道     │
│        いせ      │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│  きしのだう         │
│        八尾      │
│右 久ハんぜをん   道    │
│        久宝寺     │
│  志ぎさん          │
└――――――――――――――――┘
(かな部「岸の堂、観世音、信貴山」か)

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│       世話人      │
│(火袋穴)           │
│         當村 弥三七 │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│時 文化三年丙寅孟春      │
│    施主          │
│     江戸積 釘問屋    │
└――――――――――――――――┘
(「時」は異体字、山、なべぶた、日と刻す)


(文化三(丙寅)年1月1日とすると、西暦1806年2月18日火曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、52
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、29頁)
(行先の内北西面の奈良、伊勢は東暗越奈良街道として異論はないであろう。南西面「久ハんぜをん」を「観世音」
 とし八尾と久宝寺に掛かるものとして単独地名から外すとすれば、あと問題は「きしのだう」だけである。
  「きしのだう」をWeb上に「岸田堂:「岸」または「岸田」は地形から付けられた名で「堂」は慈眼山長楽寺と
 言われている。長楽寺は江戸時代は黄檗宗万福寺の末寺。明治になって神戸に移築、跡は岸田堂公民分館の辺り。」
 とする記述があり、岸田堂南町11に跡碑も有る様で、「岸の堂」で岸田堂村と比定する。明治の地図ではここか
 ら南東に小路村の片江、腹見、岸田堂と直線2km程の距離に見え、当辻を南東に進む案内として問題はない。
 この様に案内先に不明は無く、当地で満足でき、且つ、明治の地図で確認もできる辻である。
  所が、道標の北西に建つ解説石碑に次の様な記述があり困惑する。「もともとこの地から東へ約20m先の暗越
 奈良街道と八尾街道との分岐点に建っていたが、道路の拡幅とともにこの地に移されその向きが変わったことから
 行先の表示も正しいものではなくなっている。昭和63年3月 大阪市」とあるが、東20mに辻は有るが、八尾街道
 の分岐点はなく、当地が分岐点であり、行先の表示も旧道で見た場合は一致している。昭和62年修正の地図でも
 辻の形状や位置関係は現在と変りなく、道拡幅はされたでであろうが、解説者の勘違いか、一時的に移動されてい
 て元に戻ったものであろう。但し、辻内での移設は明らかで辻の北東部か南東部にあったはずで、上記の解説から
 すると、北東部に置かれていた可能性が高い。暗越奈良街道を南東に来た人にも信貴山への案内面が見える。
  尚、明治17年頃の地図では当辻を四辻と読み取ることが出来る小径が西にあり、その道から来た場合にも現在
 (2021)の南西面が正面に見え、「右、八尾」が4m幅程の細い道へ正しく案内する。)
(紀年銘に有る「孟春」の表現は始めてでは無いかと思う。「孟秋」なら「高槻市天神町1の道標」があり、それは
 秋の始め七月である。「孟」には「初めての」意味が有るらしく、春の始め1月を示すらしい、一月の建立自体が
 少ないせいでもあろう。)
(世話人の当村は、大今里村であろう。その東に新家村があるが摂津の国の東端に当る。当道標から東へ600m程進
 んだ新深江駅東出入口辺りからは、平地の摂津、河内の国境線上を高井田西(長堂北かも)迄進む事になる。)

写真himg5573 写真himg5603 写真himg5604
【1.道標を南に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を西に望む
 奈良は左へ、奥は八尾へ  奥、新深江交差点へ  左奥現国道、右へ旧道
 右、今里ロータリーへ】  左(北西)旧道】  何れも玉造へ】

写真himg5588 写真himg5593 写真himg5595
【4.道標北東面拡大 【5.道標北西面拡大 【6.道標南西面拡大
 「…文化三年」  玉造から来て  「右…八尾」とあり
 釘問屋は何処の人】  正面に当る】  西からの道も有ったか】

写真himg5599 写真himg5597 写真himg5598
【7.道標南東面下部 【8.道標頭部を西に望む 【9.道標北西の解説碑
 「世話人」  優雅な笠の下に  元位置の解説には
 「當村弥三七」】  火袋が掘られる】  怪しい点がある】

写真himg2316
【10.大阪市東成区の道標】
写真himg2318
【11.大阪市生野区の道標】
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