3.大阪市生野区勝山南4の道標(不明)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、34頁、生野区舎利寺町としている。)
上書の記述を載せておく。
尖頭型角柱 大きさ不明
N34.652943 E135.536449


写真himg5833

正面か
┌─―――――――――――――――――┐
│      ひ□□□□       │
│右 舎利寺             │
│      ふじい寺        │
└――――――――――――――――――┘

左面か
┌─―――――――――――――――――┐
│北 奈良              │
└――――――――――――――――――┘

面不明
┌─―――――――――――――――――┐
│安政三辰              │
└――――――――――――――――――┘


(安政三年は西暦1856年。)
(昭和42年の地図で舎利寺町を見ると現在(2021)と変わらないようで、舎利寺町内で、舎利寺と奈良への分岐点
 を探すが、唯一と思われる舎利寺北西角から30mの現四ツ辻(明治の地図では三ツ辻)には見つからなかった。
  そこで、案内の内容が酷似する「舎利寺境内の道標3」に倣って、それと同じ場所ならば御勝山南公園南東角の
 複雑な辻(勝山南町)ではないかとし探すも見つからず、主街道の分岐点(桑津と俊徳)となる御勝山古墳北東の
 三ツ辻も当ってみたが探し出せなかった。ここでは、生野区勝山南4の写真を載せておく。)

写真himg5830
【1.勝山南4の辻を南西に望む
 寺へは右奥の三ツ辻を左へ
 近世表門へは手前を左へか】

写真himg2318
【2.大阪市生野区の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ