5.大阪市東住吉区針中野3の道標2

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大阪市東住吉区針中野3−2−17 針中野駅南交差点東140m四辻の北210mの三ツ辻南西部に南東を正面に建つ。
(中野鍼の北東角、入口への路地の分岐点。南東には名前は分からないが地蔵堂がある。)
尖頭型角柱 103x30.5x31.5p(頂高4p)(南東面指差像10x22xp、北東面指差像11x24x1.5p)
N34.61843 E135.535204


写真himg6851

写真himg6853

写真himg6856

写真himg6858

南東面
┌─――――――――――――――┐
│(右指差像)でんしやのりば  │
└―――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――┐
│(右指差像)はりみち     │
└―――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――┐
│ 大正三年四月        │
│     新吉建之      │
└―――――――――――――――┘
(「新」の字は「立」を横長に刻す)


(大正三年は、西暦1914年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、39頁。)
(多分北から来る人を中野鍼に案内する事を主にした道標であろう。大正10年測図の地図では「南海電気軌道平野線」
 が現在(2021)の阪高松原線に一致する形で走っており、東に曲がり終わた地点(住吉区針中野2−1北側)辺り
 に「なかの」駅があり、その西に南北の道が見え南に下ると中井神社の前を通り「東住吉区針中野3の道標1」
 過ぎ、当地点に辿り着く。駅から中野鍼への案内とすれば特に問題は無い。南東面が右(北東)を指示するのも、
 南北の道が主要道であれば、北へ向う人に「なかの」電車乗場を案内して不可はない。依って道路拡幅の影響が無
 ければ、位置も向きも当時のままであろう。)
(「右」とせず指差し像を彫るのは当時の流行かと思われるが、直感的な分かり易さを求めた為でもあろうか。又、
 「はりみち」「新吉」等の上に名前が無いのは、名前が無くても分るほどの有名さを物語るものであろうか。)

写真himg6846 写真himg6874 写真himg6876
【1.道標を西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北東に望む
 右、中野鍼入口へ  左、中野3の道標1へ  道標は左電柱の後
 左(南)湯里へ】  右(南)近鉄針中野へ】  30m先五ツ辻】

写真himg6850 写真himg6864 写真himg6867
【4.道標を西に望む 【5.道標南東面拡大 【6.道標北東面拡大
 右奥突当り左に  「でんしやのりば」  「はりみち」だけで
 鍼灸院の入口】  とある】  名前を書かない】

写真himg6869 写真himg6870 写真himg6878
【7.道標南西面拡大 【8.道標上部を西に望む 【9.道標1より南西を望む
 「大正三年…」  右側(北東面)の  ポスト左が道標1
 「新吉…」とした】  指差像が少し大きい】  奥、ボカシに当道標】

写真himg2321
【10.大阪市住吉区の道標】
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