4.大阪市東住吉区針中野3の道標1

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
大阪市東住吉区針中野3−2−14 近鉄針中野駅南交差点東140m四辻を北へ240mの五辻西部に東を正面に建つ。
尖頭型五角柱 78x31.5x23p(頂高3p)(南東面幅18p)(北東面幅18p)(指差部左右とも8x15x1p)
N34.618662 E135.53537


写真himg6883

写真himg6885

写真himg6888

写真himg6890

写真himg6897

南東面
┌─――――――――――――――┐
│(左指差像)はりみ(ち)   │
└―――――――――――――――┘
(( )部は『博物館研究紀』より)

北東面
┌─――――――――――――――┐
│(右指差像)でんしやのり(ば)│
└―――――――――――――――┘
(( )部は『博物館研究紀』より)

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│ 大正三年四月        │
│     新吉(建之)    │
└―――――――――――――――┘
(「新」の字は「立」を横長に刻す)
(( )部は『博物館研究紀』より)

南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(大正三年は、西暦1914年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、39頁。)
(東から来ると左側の南東面と、右側の北東面が両方見えるように五角形の断面を持つ。辻の形状に合わせたもので
 珍しいものである。台座或いは、塔、竿部が四角形で無いものは稀にあり、
 1,芦屋市清水町9の道標
 2.茨木市安威墓地の道標
 3.豊能町牧梅相院の地蔵道標
 等がある。
  大正10年測図の地図では「南海電気軌道平野線」が現在(2021)の阪高松原線(地下鉄谷町線)に一致する形で
 走っており、東に曲がり終わた地点(住吉区針中野2−1北側)辺りに「なかの」駅があり、その西に南北の道が
 見え南に下ると中井神社の前を通り過ぎ、当道標に出会い、南西に曲がると「区針中野3の道標2」に辿り着く。
  東の平野方面から来た人には南東面と北東面が同時に見え、中野鍼へは「左」、「なかの」駅へは「右」方向
 への案内となり特に問題は無い。当時の主要街道はこの地点から南西にゆるく弧を描きながら湯谷島(今の湯里)
 に向かっていたようで、今の南へ折れる道は路地程度であったと思われ案内の必要は無かったと思われる。
 尚、今の近鉄南大阪線はまだなく、当然針中野駅も無いので、北の「でんしゃのり…」は前述の「なかの」駅への
 案内である。今なら地下鉄「駒川中野」駅と解釈してしまう。
 辻の拡幅を除けば、位置も向きも当時のままであろう。)

写真himg6880 写真himg6915 写真himg6879
【1.道標を南に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北に望む
 右(南西)中野鍼へ  奥、中野3の道標2へ  奥(北)中井神社へ
 左(東)平野へ】  右、谷町線駒川中野へ】  右(東)平野へ】

写真himg6900 写真himg6911 写真himg6902
【4.道標南東面上部 【5.道標を西に望む 【6.道標北東面上部
 左指差像は  右「でんしやのり」  右指差像は
 南西の道へ】  左「はりみ」とある】  北への道を指す】

写真himg6901 写真himg6909 写真himg6903
【7.道標南東面下部 【8.道標上部を西に望む 【9.道標北東面下部
 「はりみ…」  正五角形ではなく  「でんしやのり…」
 と読める】  前面左右角を落とす】  と読める】

写真himg6905 写真himg6913 写真himg6912
【10.道標西面拡大 【11.道標を北に望む 【12.道標を南に望む
 「大正三年四月…」  奥、中井神社から  中野鍼へは右へ
 「新吉」と読める】  「でんしゃのり」へ】  当時南へは路地】

写真himg2321
【13.大阪市住吉区の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ