5.豊能町牧梅相院の地蔵道標(摂津国外である)

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豊能町牧西ノ谷 梅相院の南墓地内、南東隅に東を正面に建つ
地蔵道標(六角柱台石部) 地蔵45x28x23p、台座45x28x23p(各面幅17p)、台石37x東面33x30p、礎石21x東面45.5x50.5p
N34.939743 E135.494642


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東面
┌―――――――――――┐
│含靈         │
└―――――――――――┘
(「含靈」ともに刻字は異る)

北東面
┌―――――――――――┐
│右 いけた道     │
└―――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――┐
│  立之       │
└―――――――――――┘

西面
┌―――――――――――┐
│ 當村        │
│  今北金助     │
└―――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――┐
│延享五年       │
└―――――――――――┘

南東面
┌―――――――――――┐
│左 かめ山道     │
└―――――――――――┘


(延享五年1月1日とすると、西暦1748年1月30日火曜日となる。
 尚延享5年は7月11日迄で12日からは寛延元年と成る為、制作中を考慮しても、延享五年旧8月以前の建立か。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂では、54頁)
(同書に、「もとの場所は不明であるが、寺の前には、池田亀山道が通っている。」とある。ご住職にお尋ねしたとこ
 ろ、「下の道より、御縁が有って当墓地内に移設されたが、詳しい事は分らない。」との事でした。
 大正の地図で見ると、牧辺りでは道標を必要とする大きな辻は見当たらないが、ここより南は亀岡街道、北は摂丹街
 道、と書き分けられている。道標の現状の向きでは方向が矛盾するが、左右を池田、亀岡と案内するだけで特に辻に
 立っていなくても良い道標の様に思え、一種の国境標識を兼ねた役目を持つ、珍しい道標ではないかと、想像する。
  上に載る地蔵も、前述の書では、半跏地蔵とあり、これも又珍しく、これが主体であり、台座或いは塔に当たる部
 分に、その機能を追加したとするのはどうか。
  元位置候補を挙げてみると、
 国境にこだわるなら
N34.940930 E135.496151
 脇道への誤りを防ぐ目的なら、
N34.940565 E135.495926
N34.939829 E135.495243
N34.938472 E135.493523
 妙見山帰りに京都への案内をするなら
N34.937478 E135.492797
 等が考えられるが、決め手はない。)
(道標に地蔵像を彫ったものを除き、地蔵像に案内を記した道標は結構あるが、光背部のものが多く、台座部等に案内
 を持つものは割に少ない。幾つか挙げると、
 1.茨木市清坂71の西の道標
 2.豊中市刀根山元町10の地蔵台石道標
 3.尼崎市久々知3丁目の道標
 5.宝塚市平井2の大宝寺門前地蔵台座の道標
 6.宝塚市山本台1正念寺墓地の道標
 7.宝塚市大原野茶谷地蔵台石の道標
 8.川西市小花2の地蔵道標
 9.伊丹市松ケ丘の地蔵菩薩道標
 等があり、
 台座或いは、塔、竿部が四角でないものは珍しく、
 1.茨木市安威墓地の道標
 2.芦屋市清水町9−5某骨董店店頭
 等がある。
  この道標は、半跏座の地蔵像、六角の台座、と非常に珍しく、寺域に置かれている事は安心できる。)
(東面「含靈」は、「含」と「靈」の俗字での刻字されている様で、Wiki「衆生」の項の「有情、含識、含霊」に当た
 るとし「含霊」とし旧字で表現した。「ごんりょう」と読むらしく「一切の生きとし生けるもの」の意味らしい。)
(西面「当村」は天保国絵図でみれば、「野間口皮多村」であろうか。
 「国立公文書館デジタルアーカイブ」の「天保国絵図摂津国」はこちら。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北に望む
 駐車の車左がR423  下の国道左、亀岡へ  道は寺の東下を通る
 奥、妙見口交差点へ】  右上奥(東)寺田へ】  奥(北)が亀岡方面】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標東面と地蔵 【6.道標を北西に望む
 180度回転していたとし  地蔵は半跏らしく  左端の地蔵が当道標
 「右いけだ」は南か】  台石の六角柱に載る】  その他石造物と並ぶ】

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【7.豊能町の道標】

 2022/10/12訂正
 現在地は昭和33年以降、豊能町になっているが、それまでは亀岡市であった様で、旧国名では「丹波国」域である。
 天保国絵図では、余野村から牧村間を「拾九町五拾間」、国境を「坂山」としているが国境の明確な位置は分らない。
  現在の地籍図に「牧境野」「牧境山」があり其の南部に摂津国の「野間口」「余野」がある。「坂山」を「境山」
 と見なすなら、R423号から府道605号が分岐する、妙見口交差点から80m北辺りが国境であったと思える。
 道標の元位置が国境に立っていたなら「摂津国内」としても良いが、一応「摂津国」以外の道標とする。
  又、当時の国境を現府境と誤認していたことにより、上記の「元位置候補を挙げてみると、国境にこだわるなら
 N34.940930 E135.496151」とする記述は意味がなくなり、国境に関する記述は無視してください。
 左右に分かれるに相応しい辻は、地黄、野間大原から東に山を越えて来た道(廃道か)が突き当たる、前述の
N34.938472 E135.493523
 豊能町牧8辺りの五つ辻東側(梅相院の南200m)としたい。
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