45.茨木市清坂71の西の道標

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茨木市清坂71 府道43号から北に分岐し道なりに400m、西素戔嗚神社と北東方に分かれる三ツ辻の北部に、南を正面に建つ
(現在は新道が東側に付き、H字状の辻である)
光背地蔵下部角柱(一石造り) 84x南面22.5x20p
(像部高19.5p、内、蓮華座高7p、像の突出2.5p)(西面龕部45x14x1.5p)
N34.914111 E135.551902


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東面
┌────――――――――――――――┐
│左 そうじ寺            │
└――─―――――――――――――――┘

南面
┌────――――――――――――――┐
│右 あなう             │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│〇 成蓮社祥誉上人廣阿       │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│丑四月    施主         │
│文化二乙丑天            │
│ 十月四日             │
└――─―――――――――――――――┘


(文化二(乙丑)年十月四日は、西暦1805年11月24日日曜日、文化二年四月1日なら、西暦1805年4月29日月曜日と
 なる。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では47)
(同書に、「錫杖を持たないので地蔵菩薩でなく、一応阿弥陀如来と考えておく。」との趣旨が述べられている。
 地蔵像と台石の二石でなく、一石の上部を光背を持つ地蔵型に彫り込んだものと見なす。この形式のものはほぼ見掛
 けない。
 少し似たもので、台石部分が小さく光背部分に案内があるもので、「池田市吉田町485の地蔵道標」を挙げておく。
 ただ、地蔵尊の光背部分に案内が書かれた道標は多数あるのでここには載せない。像部と台石部分が別れていて、台
 石部分に案内を持つものが幾つかあり、この道標のように一石ではないものを挙げておく。
 1.宝塚市山本台1正念寺墓地の道標
 2.宝塚市平井2の大宝寺門前地蔵台座の道標
 3.宝塚市大原野茶谷地蔵台石の道標
 像の種類は別にして、珍しい形式である事は間違いない。)
(この道筋は、「茨木市清坂109南の道標」でも述べた様に、今の京都府亀岡市東別院町栢原岡田から、現清坂峠
 でなく一つ西の峠を越えてくる巡礼道であり、北から下って来た時、この地点で左(南東)総持寺方面を案内し、
 南から上って来た人には、右(北)穴太寺を指示する。三叉路の事でもあり、有用であったと思われる。
  北、亀岡方面へ進むと、峠に「茨木市清阪63地先の道標」が待っている。)
(北面には、紀年が二つあり、年は同じであろうが、四月と十月の二つが彫られており理解に苦しむ。後の方が建立日
 であるなら、7か月(約200日)前(この年閏8月あり)に発願あるいは、制作依頼をしたものであろうか。他に文
 字が隠れている可能性は大である。)
(北面に施主(名前は不明)があるので、西面は願主か。〇印の中は、不明で、梵字であれば、像の種類も決定出来る
 かもしれない。
 〇印を持つ道標は、「宝塚市小林1地蔵堂北の道標」があるが、大きさがまるで違い、参考にはならないか。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北に望む
 右(北)穴太寺へ  奥、素戔嗚神社へ  奥(北)清坂西峠へ
 左、素戔嗚神社へ】  正面は南南東か】  右から民家迂回道あり】

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【4.道標南面上部 【5.道標南面下部 【6.道標上部拡大
 「左 そうじ寺」  元はこの面が  像部は角柱の石材
 「寺」がかろうじて見える】  道に面していた】  より削り出されたもの】

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【7.道標東面下部拡大 【8.道標北面下部拡大 【9.道標西面下部拡大
 「左 そうじ寺」  右端に1行、中央が  〇の下から
 「寺」がかろうじて見える】  空き、左に2行】  「成蓮社祥誉上人廣阿」】

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【10.道標西面下部拡大 【11.茨木北部の道標】
 〇の中は不明】
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