31.池田市吉田町485の地蔵道標

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池田市吉田町485−1 慈恩寺山門に上がる階段の東部に東を正面に建つ。
(池田市中川原町515−1、の北側でもある。吉田町の飛び地、慈恩寺山門前階段右側、地蔵六体の内右から2番目。)
地蔵光背型 77x上部30x20p(x下部50x30p)
N34.855907 E135.432633


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地蔵道標
東面
┌――――――――――――――――――――┐
│     右ハよし川ちか(道)     │
│(地蔵像)               │
│     左ハぎんざん道        │
└――――――――――――――――――――┘

その他の面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


((道)は、『能勢地方の旧街道・石造物』p46,74、より)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では22)
(同書に、「元、古江橋北にある二基の道標横に有り、道路改修により移設。本来は余野街道の北の方とも
 考えられる」とあり、移設されている。)
(同所に存在したとされる二基の道標が、妙見山、多田院を示しているのに比べ、此処では「吉川」「銀山」
 と地名を示しており、参詣、遊山的な要素が見られない。即ち、純然な道案内であり、古い時代に作成さ
 れた様に思える。
  古江橋近くにあったとして、元禄国絵図、天保国絵図を見ると、右(北)方面の次の村として「吉川村」
 しか見えず、左(北西)方向は、一里塚の有る道として、横山村から、東多田、多田院、虫生、迄進み、
 分岐して広根、銀山と辿ることが出来る。左に関して次の村でなく「銀山」としたのは、そこを目指すこ
 とが多かったからであろう。)
(前述のように、よし川を、豊能郡豊能町吉川に比定し、旧妙見道(伏尾ゴルフを通る道)と、伏尾から
 止々呂美を経由する亀山道(現国道423号沿い)と比較しても、距離は(約10q)あまり変わりなく、旧
 妙見道が吉川への「近道」とは言えないと思うので、「ちかみち」は旧妙見道への近道を示したもの解釈
 すると、明治の地図で「片岡」とある集落の南で、旧妙見道から北に分岐し、村中を通り抜け、山裾を進
 み尾根筋で再び妙見道に合流する道が見える。この地点なら右への道を、近道と表現しても問題はなかろ
 う。よって、元の位置は、池田市古江町414の南、三叉路の北部
N34.848529 E135.426439
 辺りとしたい。この地点から左190mに、bR4.古江町551の道標がある。)
(一方、「能勢街道、山下経由(約11q)と、旧妙見道を比較し、旧妙見道全体を近道としたのでは」と
 の指摘に対しては、道標の行先は、最短を示すのが常識で、わざわざ他の経路と比較し「近道」の表現を
 付ける事はない。)
(銀山道は、能勢街道の東多田から西へ分岐し、多田院の北西を通り、川西市の道標で、笹山道とした道を
 通り、虫生から川を何度か越え主要道から分岐し、広根から、現宝塚市の長谷方面へ進み、銀山か。
 (前述国絵図参照))
(尚、「ちかみち」の表現をもつ道標として、
 27.宝塚市中山寺山門前(東側)の道標の「清水江通りぬけち可道あり」
 がある。)
(国立公文書館デジタルアーカイブ「元禄国絵図」はこちら。)
(国立公文書館デジタルアーカイブ「天保国絵図」はこちら。)

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【1.慈恩寺山門下より 【2.地蔵道標を北西に望む 【3.地蔵道標を北西に望む
 地蔵道標を東に望む  右から二番目、背の高い  後ろ右上、山門へ
 階段途中赤い前垂れ辺り】  地蔵が当道標】  左下は一般道へ】

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【4.池田北部の道標】

【5.道標部拡大】


東面右
写真dimg3250  写真dimg3249

東面中央
写真dimg3248

東面左
写真dimg3251  写真dimg3252

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