4.大阪市平野区平野本町4の道標

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大阪市平野区平野本町4−7−5 「サンアレイ」アーケード中央部四辻南西部に東を正面に建つ。
角柱 95x30.5x29p
N34.623734 E135.553811


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写真himg7098

写真himg7101

写真himg7108

東面
┌─――――――――――――――――┐
│  なかの            │
│左 住よし 道          │
│  さ可い            │
└―――――――――――――――――┘
(「可」は変体仮名「か」「堺」か)

北面
┌─――――――――――――――――┐
│  ふぢゐ寺           │
│左      道         │
│  大峯山上           │
└―――――――――――――――――┘
(「ゐ」は変体仮名「い」「藤井寺」)

西面
┌─――――――――――――――――┐
│安永八年己亥三月建        │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│  八尾             │
│右     みち         │
│  志ぎ山            │
└―――――――――――――――――┘
(「志」は変体仮名「し」
 「ぎ」は変体仮名「起」に濁点で「信貴山」か)


(安永八(己亥)年三月1日とすると、西暦1779年4月17日土曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、353
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載。)
(北面と南面の案内は何れも東への道を示し、現在(2021)の中央本通商店街(サンアレイ)であろう。案内にある
 四ヶ所へは当道標からこの道を東に進み「平野区平野本町4の道標2」の元位置を過ぎ、その道標にも有る様に更に
 東へ 一丁進んだ後に右折れし、南行し田畑口を目指すと思われる。
  一方、東面の案内は『摂州平野大絵図(1763)』日文研所蔵地図データベースを見ると、北に「天神スヂ」
 南の道が「さ可い道」とあり、次の三ツ辻(現推定80m南)を西に折れると「住吉サカイ道」となり「堺口」を経
 て中野村(小児ハリ)へ続様子が書かれており、この経路を案内するものと思われる。)
(形状として角柱とはしたが、上面が一部粗いままでやや窪んでいる。これは上に何か置かれていた可能性が高く、
 常夜灯等の仕立てで有ったものが、上部を無くし、柱(竿)部が残った状態で建っていると思う。)
(『大阪の街道と道標』は北面を「右 ふぢゐ寺…」とするが「左」の誤りであろう。)

写真himg7091 写真himg7092 写真himg7093
【1.道標を西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 左(南)上記の  北、旧天神筋、  80m先三ツ辻西へ
 「さ可い道」か】  右商店街を八尾へ】  堺口より中野へ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面拡大 【6.道標北面拡大
 「右 八尾」」  後ろに旧天神筋の  「左 ふぢゐ寺」
 「志起゛山」とある】  解説板がある】  「大峯山上」】

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【7.道標西面拡大 【8.道標頂部を 【9.道標頂部を
 「安永八年…」  南東に望む  北西に望む
 とある】  上部が窪み粗い】  何かが載っていた】

写真himg7714 写真himg2320
【10.攝州平野大絵図に 【11.大阪市平野区北部の道標】
 当道標の
 想定位置を示す】
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