10.堺市堺区榎元町4の道標(和泉国内)

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堺市堺区榎元町4−1−13 西高野街道と竹内街道分岐の三ツ辻西部に東を正面に建つ。
(三ツ辻南部には「堺市堺区榎元町5の道標」がある。)
尖頭型角柱 132x2522p(頂高7p)
N34.570007 E135.487503


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東面
┌─―――――――――――――――――――――┐
│是より                   │
│ 高野山女人堂江 十三(里)        │
└――――――――――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

北面
┌─―――――――――――――――――――――┐
│       茱萸木村  小左衛門     │
│安政四年丁巳三月 發起人          │
│             五兵衛      │
└――――――――――――――――――――――┘

西面(写真無)
┌─―――――――――――――――――――――┐
│(不明)                  │
└――――――――――――――――――――――┘
(多分何も書かれていないであろう)

南面
┌─―――――――――――――――――――――┐
│      施主 加加な田村        │
│           伊左ヱ門       │
│南無大師遍照金剛   久左ヱ門       │
│           源兵衛        │
│           □□…        │
└――――――――――――――――――――――┘


(安政四(丁巳)年三月1日とすると、西暦1857年3月26日木曜日となる。この年閏五月あり。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、107。)
(現在(2021)の阪神高速堺線が通る道より東は、和泉国内となり対象外であるが、調べたので載せておく。)
(当地は南東に向かう「西高野街道」と東に向かう「竹内街道」の分岐点であり、進むべき方向は書いていないもの
 の辻の西側に建つ為南への道と理解できるのであろう。或は、辻を少し南に進んだ地点に有ったのかも知れない。
 尚、南東10mに明治三年の道標が有ったようだが、現在は再建された道標と、モニュメントが建っている。)
(東面「高野山女人堂」は、高野山別格本山西南院のhpによると「高野山は明治5年まで長く女人禁制でした。その
 間、高野七口にはそれぞれ女人堂が建っていて…、その女人堂で唯一残っているのが不動口の女人堂です。」とあ
 る。高野七口保存会のhpでは「京大坂道(不動坂)」に「京都市八幡を起点…東高野街道、大阪市平野を…中高野
 街道、大阪四天王寺を…下高野街道、堺市を起点とする西高野街道、…河内長野で合流して高野街道と総称され…
 橋本市で紀の川を渡り、学文路から高野山に登りますが、この道は江戸時代に京大坂道とも呼ばれ、最も多くの参
 詣客で賑わいました。 」とし、上記の残存する西南院の女人堂と思われる。「十三里」の正当性は分からない。)
(北面の「茱萸木村」は「くみのきむら」と読むらしく「天保河内国絵図」に狭山池の南に「茱萸木村」として載る。
 現在(2021)では大阪狭山市に「茱萸木(くみき)」と町名として残るようである。
  南面の施主の住所の読みは怪しいが「加加な田村」とした。上記絵図の八上郡に「金田村」があり、当地からは
 3km程東になるが、最初の「加」をとれば「かな田村」でこれに一致しそうである。金岡神社の南に「金田交番」
 がありこの辺りが集落中央と思われる。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南西に望む
 右(南東)高野山へ  右奥、堺東駅へ  右祠は北向きに建ち
 左(東)竹内街道へ】  中央電柱左に当道標】  道標位置も違和感あり】

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【4.道標面南上部 【5.道標東面拡大 【6.道標北面上部
 「南無大師遍照…」  「高野山女人堂…」  「安政四年丁巳三月」
 弘法大師へ帰依】  と読める】  と読める】

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【7.道標南面中部 【8.道標東面上部 【9.道標面北中部
 右「施主」の下  小さく「是より」  「三月」の右は
 「加加な田村」か】  と書かれている】  「茱萸木村」とある】

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【10.道標南面下部 【11.道標東面下部 【12.道標面北下部
 「伊左ヱ門」から  「女人堂」右下に  「発起人 小左衛門」
 三名は見えるが】  小さく「江」が付く】  「五兵衛」と読める】

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【13.堺市の道標】
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