12.堺市北区黒土町3の道標2(河内国内)

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堺市北区黒土町2360−6 竹内街道の黒土西地蔵の祠内左端に南を正面に建つ。
(当道標の前3mには「黒土町3の道標1」がある。)
地蔵光背 63x31x15p、像部下12pヨリ37x17x1.5p、台石13x39x38p
N34.565025 E135.500152


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南面
┌─――――――――――――――――┐
│  右 こんご山 こうや山    │
│(梵字)(立像)         │
│  左 者せ 大みね山      │
└―――――――――――――――――┘
(梵字は「キリーク」阿弥陀如来の種子か)
(「者」は変体仮名「は」で「長谷 大峯山」か)

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

西面(写真なし)
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、1B)
(現在(2021)の阪神高速堺線が通る道より東は和泉国となり、向陵町を越えると河内国内となり、対象外であるが、
 調べたので載せておく。)
(行先について非常に読み難いが、立像の右側の下から三文字目を小さな「う」として「右 金剛山 高野山」とし、
 左側、二文字目を変体仮名の「者」として「は」と読み「左 長谷 大峯山」とした。この結果右は西高野街道へ、
 左は竹内街道への案内と出来、祠前の南東への道を指すとして良いであろう。祠西前の「黒土町3の道標1」でも
 述べたように、当地点は辻では無く、南東70mの四辻か、北西10m辺りの三ツ辻であったと思われる地点か、更に
 北西120mの現黒土町1の大きな道の四辻、のいずれかが候補として挙げられるが、先の道標と同じく結論は出せ
 ないでいる。
  尚、前述の書では「右こんご山二上山」としているが「…や山」は間違いなく「こう」を「二上」とはし難い。)
(上部の梵字から察するに「地蔵」ではなく「キリーク」阿弥陀如来像と思われ、赤い前垂れを付けるのはどうした
 ものであろうか。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(東)竹内街道  左端、当道標  奥(西)竹内街道
 奈良方面へ】  右四体に案内無し】  中環向陵中町交差点へ】

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【4.道標南面左上部 【5.道標南面中央上部 【6.道標南面右上部
 「左 者せ」は  梵字「キリーク」は  「右 こんご山」は
 「左 長谷」とした】  阿弥陀如来の種子か】  「右 金剛山」とした】

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【7.道標南面左下部 【8.道標南面中央下部 【9.道標南面右下部
 「大みね山」は  梵字からすると  「こうや山」で
 大峯山であろう】  地蔵では無さそう】  「高野山」とした】

写真himg2323
【10.堺市の道標】
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