19.堺市北区蔵前町3の道標(河内国内)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
堺市北区蔵前町3−10−10 長尾街道、光竜川の蔵前橋西90m三ツ辻南東部に西を正面に建つ。
尖頭型角柱 102x21x21p(頂高4p)、指差像9.5x18x2p
N34.576864 E135.51948


写真himg8038

写真himg8039

写真himg8042

写真himg8043

西面
┌─――――――――――――――――┐
│右 勝手大明神          │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│   立亀氏 小山氏       │
│ 堺 登き虎 田中浅       │
│   大方氏 大目氏       │
└―――――――――――――――――┘
(「登」は変体仮名「と」か、「金、豆」等か)
(「虎」は略体字、「浅」は旧字で刻す)

東面
┌─――――――――――――――――┐
│明治丗五年八月建之        │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│      葛井寺        │
│(左指差像)           │
│      道明寺        │
└―――――――――――――――――┘


(明治三十五年は、西暦1844年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、19)
(現在(2021)の阪神高速堺線が通る道より東は和泉国となり、向陵町を越えると河内国内となり、対象外であるが、
 調べたので載せておく。)
(当地の辻形状は明治の地図でもほぼ変わりなく、東西の長尾街道から南に分岐し蔵之前集落の東端を通り、南花田
 に続く三ツ辻である。この辻の南50mに須牟地曽根神社が有る。由来に「須牟地曽根命を勝手大明神と称し産土神
 としていた」とあり、明治二十八年の焼失や金岡神社合祀等を経て平成五年に再建されたようである。この道標の
 紀年が明治三十五年であれば、焼失間もなく再建されていたものと思われる。
 北面の左指差し像が示す東は長尾街道であり、葛井寺(藤井寺)、道明寺は特に説明もいらないであろう。)
(東面に施主であろう六名が書かれ、両脇4人は「氏」が付き姓であろう。中央部上段一文字目は次が仮名の「き」
 であるから、変体仮名の「登(と)」と読んだが、くずし字「金、豆」等にも見え間違いの可能性は高い。
 何れにしても屋号であろう。又その下「田中浅」も屋号と思う。)
(当道標の東220mに「蔵前町3の地蔵道標」がある。)

写真himg8032 写真himg8033 写真himg8035
【1.道標を南東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を東に望む
 左(東)長尾街道  奥(南)50m  奥(東)長尾街道
 藤井寺、道明寺へ】  勝手大明神へ】  光竜川の蔵前橋へ】

写真himg8052 写真himg8053 写真himg8056
【4.道標北面拡大 【5.道標西面拡大 【6.道標南面拡大
 指差像「葛井寺」  「右 勝手大明神」  中段の中央が
 「道明寺」】  指差像を使わず】  「金」か「豆」か】

写真himg8060 写真himg8063 写真himg8427
【7.道標東面拡大 【8.道標東面中部 【9.南50m須牟地曽根神社を
 「明 治丗五年八」  「治丗五年」  南東に望む、右端は
 としたが】  とした】  毘沙門天とあった】

写真himg8428
【10.須牟地曽根神社の由来書き
 主神、勝手大明神、毘沙門天
 三神を祀るとあるが】

写真himg2323
【11.堺市の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ