17.堺市北区蔵前町3の地蔵道標(河内国内)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
堺市北区蔵前町3−2−18 長尾街道と府道28号の北蔵前交差点を東に60m道南側歩道上祠内北に西を正面に建つ。
(当道標の東に「蔵前町3の支柱道標」がある。)
地蔵光背 83x31x25p、龕部24x14x-1.5p、像部20x6.5x2p、蓮台3x8x2p
N34.576728 E135.517109


写真himg8147

写真himg8149

写真himg8152

写真himg8154

西面
┌─――――――――――――――――┐
│        ひたりハ     │
│         ふじゐ寺    │
│(梵字)(地蔵像)     ミち │
│         はせ なら   │
└―――――――――――――――――┘
(梵字は「カ」、地蔵菩薩の種子か)

南面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(天保十五(甲辰)年七月1日とすると、西暦1844年8月14日水曜日となる。天保は十五年十二月一日まで。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、18)
(現在(2021)の阪神高速堺線が通る道より東は和泉国となり、向陵町を越えると河内国内となり、対象外であるが、
 調べたので載せておく。)
(当地の辻形状に関しては「蔵前町3の支柱道標」を参照下さい。
  その辻東部に有って、南西部の支柱が「右、たき谷、金剛山」と南東方向だけの案内を受け持っていることから、
 当地蔵では「左、藤井寺、長谷、奈良」と東(長尾街道)への案内だけと成っている。辻全体としては、石造屋形
 と当地蔵で一つの道標と考えてよいと思う。では同時に作られたものであろうか。
  石の質が明らかに違い、筆跡も同じ字はないが異なる様に思える。もし右側の大きな地蔵が無ければ、当地蔵を
 保護する為、屋形型祠の方が後から建てられたと出来るがこれも分らない。地蔵の方が古いとすれば、天保十五年
 七月(1844年8月)以前の建立となるのであるが、どうでしょう。)

写真himg8169 写真himg8142 写真himg8139
【1.道標を東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を西に望む
 奥(東)長尾街道  左側が当道標  西60mに蔵前北交差点
 電柱右に新石屋形】  右紀年は新屋形のもの】  祠内右が当道標】

写真himg8156 写真himg8161 写真himg8449
【4.道標西面拡大 【5.道標西面上部 【6.道標西面梵字部
 「ひたりハ…」  地蔵尊立像  読みにくいが
 「…なら、ミち」】  と思われる】  梵字は「カ」か】

写真himg8150 写真himg8164 写真himg8162
【7.道標を北東に望む 【8.道標西面下部左 【9.道標西面下部右
 左が当道標  「ふじゐ寺」  「ひたりハ…」
 右の方が古いか】  「はせ なら」】  とある】

写真himg2323
【10.堺市の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ