8.堺市堺区三国ヶ丘御幸通の道標2(和泉国内)

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堺市堺区三国ヶ丘御幸通154 府道30号堺東駅前南口交差点南東部手摺の南に西を正面に建つ。
(南海高野線堺東駅西ロータリー南西部でもある)
(南西10mに「堺区三国ヶ丘御幸通の道標」が建つ。)
尖頭型角柱 104x23x15p(頂高2p)
N34.574116 E135.483994


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写真himg8358

西面
┌─―――――――――――――┐
│  高祖大菩薩       │
│梅       道     │
│  鬼子母神        │
└――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――┐
│  昭和廿三年五月再建   │
│  施主土師平部嘉市    │
└――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘


(昭和二十三年は、西暦1948年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、231。)
(現在(2021)の阪神高速堺線が通る道より東は、和泉国内となり対象外であるが、調べたので載せておく。)
(web上で「『梅の鬼子母神像さん』として有名。堺市北区百舌鳥梅町1−167の毛須山法華寺。大荒行堂に等身
 大鬼子母神像」等の記事が有る。これを信用すると百舌鳥八幡の東辺りとなり、ここからは堺東駅南の1号踏切を
 渡るか、更に南の西高野街道にあたる3号踏切を越えるかの何れかであろう。もし現在の位置であれば後者の堺東
 3号踏切が近く南を指示するべきであろうが、昭和24年発行の地図では1号踏切を渡りすぐに線路沿いに南下す
 る道が見え此方を進めたい気がする。もし今の向きのまま建っていたなら、駅を出てすぐの1号踏切西側に置かれ
 ていた想像する。駅前でもあり古い写真などを当たれば確認できるのではないか。)
(東面施主のした「土師(はぜ)」は地名と思われ、今の中区土師町であろう。又、「再建」とあるのでそれ以前の
 道標が有ったものと思われる。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北東に望む
 奥(西)大小路橋へ  奥右、高野線堺東駅  道標後方堺東1号踏切を
 左、一条通りへ】  奥(北)遠里小野橋へ】  東に越え線路沿い南下か】
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【4.道標西面拡大 【5.道標東面拡大 【6.道標を北に望む
 「高祖大菩薩…」  上部が見え難い  左「御幸通の道標」
 「梅道」とは】  月日氏名は読める】  右奥手摺脇に当道標】

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【7.道標東面上部左 【8.道標東面上部右 【9.道標東面中部右
 「施主土師…」  「昭和廿…」  「…三年五」
 とした】  とした】  と読める】

写真himg2323
【10.堺市の道標】
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