66.西宮市山口町名来地蔵台石の道標

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西宮市山口町名来2丁目7−12 国道176号名来2丁目交差点西160m四辻の北10m東側民家の庭奥の南東端
(周囲からは見えない)の地蔵祠内に西を正面に建つ
台石角柱 地藏41x26x22p、台石36x26.5x23p、基壇13x40x36p
N34.83963 E135.237503

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西面
┌─―――――――――――――――┐
│ 右 三田びしやもん      │
│春山道清信士          │
│ 左 にらうへ能みち      │
└――――――――――――――――┘
(「能」は変体仮名「の」で「二郎への道」)

南面
┌─―――――――――――――――┐
│安永七戌年           │
└――――――――――――――――┘

東面(写真なし)
┌─―――――――――――――――┐
│(不明)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│三月廿七日           │
└――――――――――――――――┘


(安永七(戊戌)年三月二十七日は、西暦1778年4月24日金曜日となる。)
(当家の方にお聞きしたが、移設前の場所については定かで無いとのことでした。WEBで「以前は現在地より50メー
 トルほど南の旧道路端に鎮座し」とするものがありましたが、明治の地図には辻が見当たらず有馬から三田への道筋
 に立っていたとするなら、近辺の候補地は二ヶ所となるでしょう。
 一点は、山口町名来2丁目16−36の三ツ辻で現在では南への道が途切れている、
N34.840412 E135.237596
 辺り、辻の北西部にあれば、右三田、左二郎が成立する。
 もう一点はその北120mの四辻、東100mに現R176の名来交差点となる辻で、
N34.841429 E135.237142
 辺り、辻の北西部にあれば、これも右三田、左二郎が成立する。
  距離的には第一候補が、西への道の太さなら第二地点の候補が有利に思えるが、いずれも現在地より北側となる。
 WEB資料にある南側には800m以上南の山口町宮前通りの分岐までふさわしい辻は見当たらないので「南」を「北」に
 間違えたと解釈すると、第一候補地点は北80mとなり、こちらが有利になる。)
(「右 三田びしゃもん」は、三田と現三木市吉川町毘沙門の二ヶ所とすべきか、三田市に「毘沙門」があるのか不明
 であるが、多分前者であろうと思う。毘沙門を案内する「神戸市長尾町赤松峠の供養塔台石道標」につながるとすれ
 ば、日下部、宅原、長尾となり、ここでは有馬街道を北へ進み宅原までは三田と同じ道とした。)
(「左 にらうへ能みち」とした「能」は一見「り」の様に見えるが「にろう」を「二郎」として意味が通じるように
 「への道」と読み下し、通常「の」や変体仮名の「乃」よりも、「能」の変体仮名に近い気がしたのでこれとした。
  これを「へり」として「二郎縁」としても意味は通じ、二郎の付近、側(そば)への道として受け取れる。)

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【1.地蔵祠を東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を東に望む
 左奥(北東)夙川へ  右壁左に当道標  左、夙川西岸へ
 右、路地を国道2へ】  背面20mに四辻】  右(西)国道2号へ】

写真sh130504 写真sh130601
【4.道標南面上部 【5.道標南面下部
 「安永七」  「七戌年」
 と読める】  であろう】

写真dimg3911
【6.西宮北部の道標】
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