65.西宮市山口町下山口の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
西宮市山口町下山口3丁目13−21 下山口の光明寺の参道を北に登り山門入って左(西)側に北東を正面に建つ
蒲鉾型角柱 66x29x25p(頂高4p)台石15x40x39p
N34.832982 E135.236767


写真iimg0890

写真iimg0891

写真iimg0894

写真iimg0897

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 弘化二年九月八日       │
│釋 秋了  (蓮華像)     │
│ 左 ありま          │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(弘化二(乙巳)年九月八日は、西暦1845年10月8日水曜日となる。)
(後ろに立つ案内板の碑面読み下しに「弘化元年九月八日」とあるが、弘化は1844年12月2日の改元で有る為、九月
 時点では天保十五年である。改元時に旧年号を使う道標は時々見かけられるが、先だって使用することは有り得ない。
 確かに、年数と「年」のあたりは読み難いのであるが、「二年」と読むべきであろう。
  尚、改元時建立の例は「高槻市京口町12の道標」等を参照して下さい。)
(元位置に関して、WEB(西宮山口町のHPか)に「金仙寺地区の共同墓地に、道標を兼ねた珍しい墓石があった…。墓
 地の横の道路は、昔、湯山街道と呼ばれ…」とあり、写真も載っている。これを頼りに山口町中野辺りを探すが見つ
 けられなかった。左、有馬とだけ案内する必要が有りそうなのは、山口町中野1丁目6北部の三ツ辻で、南の有馬に
 向かう県道98号から右川沿いに下りながら集落に向かう道が分岐する地点
N34.812674 E135.249313
 辺りで、北向きに建っていたとすれば、誤って集落に入り込まないように案内した道標かと考えている。
  ただここからは2.5q以上も離れており、移設の理由が「墓地の改修」だけではよく分らない。)

写真iimg0931 写真iimg0928 写真iimg0887
【1.光明寺を北に望む 【2.山門を北西に望む 【3.道標を西に望む
 左奥、寺山門へ  門左後に当道標  旗の手前が当道標
 右下北、県道82へ】  背面下って七つ辻】  左は三十三所供養塔等】

写真iimg0902 写真iimg0907 写真iimg0899
【4.道標を南西に望む 【5.道標北東面中央 【6.後ろに立つ解説板
 右端道標は北東面  「釋 秋了」  「弘化元年…」は
 左は三十三所供養塔等】  は戒名であろうか】  間違いであろう】

写真iimg0909 写真iimg0912 写真iimg0904
【7.道標北東面左側 【8.道標北東面下部 【9.道標北東面右側
 「左 ありま」  蓮華紋がある  「弘化二年九月八日」
 と読める】  蓮華座というかも】  とした】

写真dimg3911
【10.西宮北部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ