71.兵庫県西宮市名塩1丁目33の道標

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西宮市名塩1丁目33 旧国道176の名塩交差点北西部に南を正面に建つ
角柱 117x24.5x25p
N34.829714 E135.299858


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│是ヨリ右へ二丁         │
│ 蓮如上人御舊蹟        │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(「蓮如上人御舊蹟」とは教行寺の事と思われ、この辻からほぼ北に道なりに110m上り右(東)折れし50m筋違い
 四辻を左(北)折し40m、合計200mで教行寺の入口に到着する。現在は保育園の入口のようになっているが、ここ
 への案内とすれば特に問題はない。ただ旧国道に面して立っているので、「右へ二丁」の「右」が少し違和感を感じ
 る。元は反時計回りに90度回した状態で建てられていたのではないかと思う。
  WEB上の寺の紹介文「教行寺略史」によると、「文明七(1475)年蓮如上人が村内の中山(現在の卵塔場)の地に
 草坊を建て道場とし…名塩教行寺の初まり…。第三世賢超は、中山の坊舎を現在地より西南百メートルの地に移した
 が、元和三(1617)年今の地に移転した。…第七世湛然は宝暦十一(1761)年に現在の本堂を再建した。」とあり、
 この道標が、元和三(1617)年以前の作には見えないので、距離が変わっている心配も不要であろう。)
  尚、文明八(1476)年蓮如上人が嶋上郡富田に建てた富田教行寺を案内する「高槻市富田町4の2の道標」
 も参照して下さい。偶然の一致かそちらにも「二丁」と刻まれています。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北に望む 【3.本堂を北に望む
 左奥、三田方面へ  奥、教行寺へ  額などはないが
 右折れし教行寺へ】  急坂を200m登る】  堂々とした構えである】

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【4.道標南面拡大 【5.道標南面下部 【6.蘭学通名塩川鴨谷橋より
 「是ヨリ右へ二丁」は  ほぼ南を指す磁針  教行寺を北に望む
 小さく彫られる】  下部はセメント】  左190mに道標がある】

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【7.西宮北部の道標】
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