76.神戸市北区山田町上谷上61の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
神戸市北区山田町上谷上61 神戸市北区山田町上谷上61の対岸、上ノ原橋南東詰の東側に南西を正面に建つ
自然石 85x63x32p
N34.765190 E135.181123


写真iimg1190

写真iimg1192

写真iimg1194

写真iimg1196

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│右 まやさん              │
│  ありま (道)           │
│すぐ                  │
│  三田                │
└――――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)

南東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│すぐ                  │
│  兵庫(道)             │
└――――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)

北西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊ではbP02)
(『神戸の道標』に「昭和十三年…水害時に…失われ…元の地に帰った。はじめに立っていた場所は橋の西詰という」
 としている。上ノ原橋東詰としているが、橋には名称が記されていなかった。今は人が渡れる程度の橋である。
  明治の地図で見ると、橋の北西詰が三ツ辻となっており川の右岸(北西岸)に有馬道が走っており、南東に川を渡
 り二又に別れる道が描かれており南東詰を右(南西)に進むと、炭ヶ谷に向かっている。同書が言う「『右まやさん』
 は、炭ヶ谷・獺池を経て桜谷を登る。」の炭ヶ谷に一致するが、獺(かわうそ)池に行く道は描かれておらず、石楠
 花(しゃくなげ)山を越えて桜谷から摩耶山へと続くようである。獺池の道は大正12年の地図に見える。
  道標の建立年が気になる所です。もし近世の建立ならば「天保の国絵図」に従えば、現在の位置が元位置に近くな
 りそうです。理由は有馬道が志染川の左岸(南側)を通っているからです。元位置の情報が正しければ明治期の建立
 の可能性が高いと思われます。)
(同書の記述どおり橋の西(北西)詰に今の向きのまま置かれていたとすると、北東に「すぐ、有馬、三田」、南西に
 「すぐ、兵庫」となり志染川右岸の道を示し、「右、摩耶山」が南東に橋を渡る道を示し何ら問題はない。)
(北東面の左角に文字ではないと思うが、強引に読むなら「…門」とし施主などとなれば面白いが、位置的にも無理で
 あろう。)
(蓑谷方面(西)500mによく似た「谷上東町の道標」があります。)

写真iimg1216 写真iimg1217 写真iimg1215
【1.道標を北に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南西に望む
 右奥、現県道15号へ  左、橋渡り旧県道へ  左奥、南の炭ヶ谷へ
 左鉄棒は橋の手摺】  奥、現県道15号へ】  右、旧県道の三ツ辻へ】

写真iimg1202 写真iimg1201 写真iimg1224
【4.道標南西面左部 【5.道標南西面右部 【6.道標南西面下部
 「すぐ/あかし/三田」  「右 まやさん」  「ありま」の下は埋没
 と読める  と読める】  「道」は未確認】

写真iimg1210 写真iimg1204 写真iimg1203
【7.道標北東面左角部 【8.道標北東面左下部 【9.道標北東面右上部
 文字かキズか  「兵庫…」の  「すぐ」
 「…門」にも見える】  下は「道」か】  と読める】

写真gimg3367
【10.北区南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ