灘区35.神戸市灘区摩耶山仁王門前の道標

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神戸市灘区摩耶山 天上寺の仁王門前(南)石段下東側に南東を正面に建つ
角柱 141x14x13p
N34.728831 E135.207065


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南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│青谷摩耶橋ヨリ           │
│ 二千四百米 標高五六0米     │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│昭和十二年八月           │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│神戸突破嶺会            │
└――――――――――――――――――┘


(昭和十二年は西暦1937年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(行先ではないが「摩耶橋ヨリ」とあり、道標とした。ここからであれば当然下山方向への距離を示すことになり、距
 離を持った道標である。現青谷川の摩耶橋東10mに「灘区青谷道廿二丁丁石」が建っており青谷道への案内で問題は
 無いでしょう。)
(標高560mとしているが、現在の地理院地図では540m辺りと思われやや高いが大きな移設はないと思う。)
(施主らしい「神戸突破嶺会」は変わった名前と思うが、建設時期が大戦前で時代背景を物語るものかも知れない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北東に望む
 左から二番目  階段下絶好位置だが  奥、階段を下り下山
 細長いのが当道標】  傾いて危なげである】  上野道分岐はこの先】

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【4.道標南西面拡大 【5.道標南東面上部 【6.道標北東面拡大
 「神戸突破嶺会」は  「青谷摩耶橋ヨリ」  「昭和十二年八月」
 縦走会などの意か】  「二千四百米」とある】  と読める】

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【7.道標前から南東を望む 【8.道標南東面下部 【9.仁王門と道標を北西に望む
 参道最初の階段を下る  「標高五六0米」は  写真7.のベンチ前から
 ベンチ右折れ後上野道分岐】  「560m」の意】  見上げた状態、後一息】

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【10.神戸市東部山岳部含の道標】 【11.摩耶山丁石一覧(明治44年)】
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