27.神戸市灘区青谷道廿二丁丁石(道標では無い)

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神戸市灘区城の下通3丁目4−1 都賀川の摩耶橋東10m三ツ辻の東部に南西面して建つ
(北への道は摩耶山青谷登山道とある)
山型角柱 58x21x18p(頂高7p)
N34.716458 E135.209192


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南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│是ヨリまやさん           │
│ 廿二丁              │
│□□                │
└――――――――――――――――――┘
(□□は「東へ」か。)

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│明治四十二年二月廿五日建之     │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面(写真無)
┌─―――――――――――――――――┐
│   久野木松太郎         │
│施主                │
│   前手鶴(蔵)         │
└――――――――――――――――――┘
((蔵)は右側半分から推定した)


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には記載なし。)
(摩耶山天上寺への西からの参詣道に当ると思われる。現在(2020)の参道(登山道)の入口と思われる地点に建つ
 が、元の位置かは確認できない。上野道の起点となる「十八町丁石」と比較する為に確認したものである。
 二十二丁(2.4km)の次は十六丁まで無い様である。明治43年測図の地図(建立年の翌年)で見ると、取り付き
 口が東50m辺りにあった以外は、ほぼ現在と同じルートの様に思われる。今の摩耶山史跡公園まで2.5km程度か。)
(北側に建つ「昭和十二年」の銘を持つ石に「摩耶山青谷道登山口」と塩ビの案内が張り付けられているが、これを
 剥がすと、道標である可能性がある。)
(参詣道最後の丁石は「二丁丁石」を、米(m)標石の最初は600m先の「1800m石標」を、参照。)
(又、「摩耶山丁石一覧」も合わせて参照下さい。)

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【1.丁石を北東に望む 【2.丁石を南西に望む 【3.丁石を北に望む
 左上、登り摩耶山へ  奥は西郷川の摩耶橋  右上、登り摩耶山へ
 右、三丁目住宅街へ】  橋越え左、妙光院へ】  左、摩耶橋へ】

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【4.丁石南西面左上 【5.丁石南西面拡大 【6.丁石南東面拡大
 「東」とすると  「廿二丁」  「明治四十二年」
 元位置はどこか】  と読める】  と読める】

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【7.北側の記念石を
 南に望む
 道標ではなさそう】

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【8.神戸市東部の道標】 【9.神戸市摩耶山丁石一覧】

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