25.神戸市須磨区一の谷町5の道標

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神戸市須磨区一の谷町5−2−1 須磨公園東市バス転回所入口の東植込み中に南西を正面にして建つ
角柱 88x21x20.5p
N34.640912 E135.106210


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南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│一ノ谷 鯖大師 上半丁       │
└――――――――――――――――――┘
(「鯖」は「魚」に「青」と刻む)

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│             濱ア助太郎│
│大正十三年九月 建之 施主     │
│             谷口喜一郎│
└――――――――――――――――――┘
(施主二名の最後「郎」は予想です。)

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(大正十三年は西暦1924年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(左右や「すぐ」等の方向が書かれていないが「上」とあるので、この辺りの地形からすると進むべき道が決定できる
 と思われるので道標と見なした。
 「鯖大師」とは現在須磨寺内にある「貞照寺」の事らしく、阪神大震災により移転されたらしい。それ以前は須磨観
 光協会のHPより、「一ノ谷町2丁目にあった貞照寺の本尊…、鯖大師と石仏は須磨寺蓮生院へ移されています。」と
 あり、一ノ谷町2丁目の寺跡と思われる地点は、駐車場を真っすぐ突き切ったとして200m程の距離と思われ、半丁
 (55m)では少し足りない。昭和9年の地図では山電の北側辺りに四辻が見えこの辺りからの移設かも知れない。)
(その他webに「貞照寺は大正8(1919)年に中島貞照尼僧が、徳島県海洋町「八坂寺、鯖大師本坊」の御本尊「鯖大師」
 を勧請し…」とあるように新しい寺であるらしいが、上記紀年の「大正13年」とは矛盾しない。)
(東に「須磨浦通4の道標」がありますが、摂津国内の西国街道沿いでは最も西に位置する道標になるでしょう。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 右奥国道2号を須磨へ  左、市バス転回所  左(北東)須磨へ
 鉄柱間に当道標】  右端に当道標】  右、塩屋、垂水へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標南西面上部 【6.道標北東面上部
 右が当道標  「一ノ谷鯖大師」  「大正十三年」
 左は長田神社御旅所の碑】  と読める】  と読める】

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【7.鯖大師の跡地か 【8.道標南西面下部 【9.道標北東面下部
 西の道を北に進み  「上半丁」  「濱ア助太」
 山電を潜り北東へ】  と読める】  「谷口喜一」までは読めた】

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【10.神戸市南西部の道標】
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