104.箕面市箕面公園1弁財天道の石標

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箕面市箕面公園1  滝道にある箕面昆虫館入口の70m北の西側に、南を正面に建つ
(滝道より北西側へ分岐し瀧安寺の山門を通り辯天堂へ向う道の分岐点にある鳥居の東下)
山型角柱 130x32x26p(頂高8p)(台石18x59x54p)
N34.841526 E135.472104


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南面
┌―――――――――――――――――┐
│辨財天瀧道            │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――┐
│    京都           │
│ 石工  芳村          │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――┐
│明治四十三年八月 己瀧組     │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(昭和十五年は西暦1940年。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、には未記載)
(上書に私の定義では道標でない「箕面公園2昭和の道標」を「60、三宝荒神参道の道しるべ」として載せており、
 それと同種の石標としてこれも採り上げておく。参道の標石であろう。)
(瀧安寺のHPを見ると、「日本最初の弁財天として、西暦658年、役行者が弁財天像を作り滝の側に祭祀し箕面寺と称
 した。後に瀧安寺と改称」とあり、弁財天堂が本堂であると思われ、「辨財天」はこれであろう。下部の「瀧道」を
 箕面公園HPでは「阪急箕面駅前から公園の入り口(一の橋)を通り、箕面川の渓流に沿って約2.8km。「箕面大滝」
 につながる道を「滝道(たきみち)」と呼ぶ」としているので、一般的に川沿いの道を示すと受け取ると理解に苦し
 む表記である。
  明治の地図を見るとほぼ現在と変わらない様に見え、川沿いの滝道からこの地点で北西に分かれ、山門へ向うのが
 参道であると思われる。よって南面の「辨財天瀧道」は「瀧道からの辨財天参道」と解釈すべきものか。
 知り置く点として、ここで滝道から山門に分岐せずにそのまま北に進み、弁天堂(本堂)北側から進入するする事も
 可能で『摂津名所図会』[7]/7にも「裏門」と書かれた入口があり、現在でも「箕面山辨財天」の寺標が立っている。
  尚、施主と思われる「己瀧組」は他の石造物にも幾つか見ることが出来ました。又、製作者「京都芳村」は京都市
 上京区東堀川通に今もある享保年間創業の会社ではないでしょうか。)

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【1.石標を北に望む 【2.石標を北に望む 【3.石標南面拡大
 鳥居右下に  右(北)滝道を大滝へ  右上階段を勝尾寺へ
 当石標がある】  左、参道を山門へ】  現案内板が元位置か】

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【4.石標東面下部 【5.石標北面上部 【6.石標北面下部
 「石工/京都芳村」  「明治四十三年八月」  「己瀧組」
 と読める】  と読める】  己は巳かも知れない】

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【7.弁天堂北側からの入口を
 南に見る、右弁天堂へ
 左滝道を駅へ】

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【8.箕面市の道標】 【9.勝尾寺への参道】
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