55.1.宝塚市仁川うぐいす台3の道標(二基)

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宝塚市仁川うぐいす台3−20 宝塚第一中学校北崖下、法華閣敷地内、南東角に南を正面に建つ
(西30mにもう一基同様のものあり。)
蒲鉾形角柱 140x25x15p(頂高4p)推定、(指し指厚2p含まず)
N34.782190 E135.347512


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│(左指差像)法華閣       │
└――――――――――――――――┘

その他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


もう一基(左指差像がなく寺標か)
蒲鉾形角柱 138x25x15p(頂高4p)推定
N34.782179 E135.347190


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│法華閣             │
└――――――――――――――――┘

その他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘






(『たからづかの道標』(昭和61年刊)に記載なし。)
(この二基は仁川小学校の西「仁川宮西町1の道標」の二基と一連で建てられたものでろう。大きさ等ほぼ同じと思わ
 れるが、敷地内の為高さは測定できず。)
(法華閣は法華閣教会(日蓮宗)と思われ、指差し像のない「寺標」がある此処がその場所と思われ、北には黒い建物
 が建っているが寺かどうかは確認出来なかった。建物北側の下には谷を背にした墓地がある。)
(開発や震災等により移設されたものと思われ、元位置は小仁川沿いの西への分岐辻辺りにあったのでは無いか。昭和
 42年の地形図では、今の高丸橋辺りから西に分岐し、仁川団地の北東部に沿い寺に繋がる道が見える。)
(もう一基は指差し像がなく、門前等に寺標としてあったものと思われる。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北に望む
 左奥(西)住宅で行止り  右(東)中学校北東端  後ろの黒い建物が
 右、墓地に突当る】  に出て北に廻り込み下る】  法華閣になるのか】

写真iimg9375 写真iimg9374 写真iimg9316
【4.道標南面上部 【5.道標南面下部 【6.元位置候補地を北に望む
 左指差し像  「法華閣」の  左は団地周回道だが団地
 仁川小の二基と同じ】  「華」は旧字体か】  北西部に階段があり旧道跡か】

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【7.寺標を北西に望む 【8.寺標を北東に望む 【9.寺標を北に望む
 フェンスには入口無  右30mに一基目の  真後ろにある黒い
 白色建物は物置風】  道標がある】  建物が法華閣か】

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【10.宝塚西部の道標(明治44年)】

写真dimg0762
【11.宝塚南部の道標(明治44年)】
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