宝塚市仁川うぐいす台3−20 宝塚第一中学校北崖下、法華閣敷地内、南東角に南を正面に建つ
(西30mにもう一基同様のものあり。)
蒲鉾形角柱 140x25x15p(頂高4p)推定、(指し指厚2p含まず)
N34.782190 E135.347512




南面
┌─―――――――――――――――┐
│(左指差像)法華閣 │
└――――――――――――――――┘
その他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし) │
└――――――――――――――――┘
もう一基(左指差像がなく寺標か)
蒲鉾形角柱 138x25x15p(頂高4p)推定
N34.782179 E135.347190



南面
┌─―――――――――――――――┐
│法華閣 │
└――――――――――――――――┘
その他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし) │
└――――――――――――――――┘
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)に記載なし。)
(この二基は仁川小学校の西「仁川宮西町1の道標」の二基と一連で建てられたものでろう。大きさ等ほぼ同じと思わ
れるが、敷地内の為高さは測定できず。)
(法華閣は法華閣教会(日蓮宗)と思われ、指差し像のない「寺標」がある此処がその場所と思われ、北には黒い建物
が建っているが寺かどうかは確認出来なかった。建物北側の下には谷を背にした墓地がある。)
(開発や震災等により移設されたものと思われ、元位置は小仁川沿いの西への分岐辻辺りにあったのでは無いか。昭和
42年の地形図では、今の高丸橋辺りから西に分岐し、仁川団地の北東部に沿い寺に繋がる道が見える。)
(もう一基は指差し像がなく、門前等に寺標としてあったものと思われる。)
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【1.道標を北西に望む |
【2.道標を北東に望む |
【3.道標を北に望む |
左奥(西)住宅で行止り |
右(東)中学校北東端 |
後ろの黒い建物が |
右、墓地に突当る】 |
に出て北に廻り込み下る】 |
法華閣になるのか】 |
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【4.道標南面上部 |
【5.道標南面下部 |
【6.元位置候補地を北に望む |
左指差し像 |
「法華閣」の |
左は団地周回道だが団地 |
仁川小の二基と同じ】 |
「華」は旧字体か】 |
北西部に階段があり旧道跡か】 |
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【7.寺標を北西に望む |
【8.寺標を北東に望む |
【9.寺標を北に望む |
フェンスには入口無 |
右30mに一基目の |
真後ろにある黒い |
白色建物は物置風】 |
道標がある】 |
建物が法華閣か】 |
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【10.宝塚西部の道標(明治44年)】 |
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【11.宝塚南部の道標(明治44年)】 |
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