14.羽曳野市軽里3−1の道標

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羽曳野市軽里3−1 国道170軽里北交差点の東20mの四辻北西部歩道上に東を正面に建つ
尖頭型角柱 91x22.5x23p(頂高5p)
N34.553321 E135.599301


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東面
┌─――――――――――――┐
│右 ふぢゐ寺       │
│       道     │
│左 さ か い      │
└―――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――┐
│  さかい   丸市   │
│  世話人同村 仁右衛門 │
└―――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――┐
│ 天保四癸巳年二月建之  │
└―――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘


(天保四(癸巳)年二月1日とすると、1833年3月21日木曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、8)
『今昔マップ on the web』明治の地図を見ると当辻は変則の四辻であり、当然現国道170はありません。
  この道標が案内する「右、ふぢゐ寺」は竹内街道から北に分岐し、仁賢天皇陵の東の池沿いに最短で葛井寺に向う
 小径と見えます。よって道標を置くに相応しい位置と思います。
  ただ、横に建つ「順(巡)礼街道」の案内板には、ここより東190mを南北に通る道を赤線で示しています。街道
 の呼び名はさておき、ここからの経路が最短と思える。現在は北の墓地で舗装路は途切れるが、徒歩なら繋がってい
 るかも知れません。)
(西、軽里北交差点を越え、竹内街道を上手く進めば900m程で「羽曳野市野々上3−3の道標」に続きます。
 又、北へ約700m程進むと下田池北側に道標があるようだがまだ見ていない。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 電柱後ろに当道標  国道170を跨ぐ軽里北歩道橋  左奥(南)を旧竹内街道
 奥(東)古市駅へ】  竹内街道は奥(西)へ】  左右は白鳥通か】

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【4.道標東面拡大 【5.道標北面下部 【6.道標西面上部
 「右ふぢゐ寺」  「さかい丸市」は施主  「天保四癸巳年二月建之」
 「左さかい」と読める】  丸は凡にも見える】  癸巳は斜めに刻む】

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【7.なぜか順礼街道の解説板
 図示する赤線は東190mの
 辻を南北に通っているが?】

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