9.松原野市岡4の道標

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松原市岡4−6−28 竹内街道の三ツ辻南東部に北を正面に建つ
尖頭型角柱、上部欠損 91x29x29p(頂高5p、下部5p含む)(西面補充巾6.5p、東面同10p)
N34.560873 E135.558542


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北面
┌─――――――――――――┐
│  ふぢゐ寺       │
│左 上太子 道      │
│  やまと        │
└―――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――┐
│   さやま       │
│(右 三日市)      │
│   かうや       │
└―――――――――――――┘
(( )部は解説板より)

南面
┌─――――――――――――┐
│  ひらの        │
│左            │
│  大坂         │
└―――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――┐
│ 寛政九年丁巳五月    │
│   いせこう中     │
└―――――――――――――┘


(寛政九(丁巳)年五月1日とすると、1797年5月26日金曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載)
(損傷が激しく、修復がされているが、その為読めない部分等もある。初めて見る修復方法であり、概要を少
 し述べておく。北部分と南部分に大きく割れて中央部が無くなっている。頭頂部も5pを残し欠けている。基
 部も折れて一部欠損している。この状況で角柱とするべく、中央に西から見て逆T字状の芯となる石に北部
 と南部を貼り付ける様にし、新しい芯石の底部を旧の基礎部につぎ足す形で修復している。頭頂部の欠損は
 修復をあきらめ平らにしておわる。よって全体は角柱の上部を面取りしたような形である。
  又、芯石と旧石の接合部は、セメント様の充填剤で埋められ、これを平らにするべく伸ばしている為、見
 えない部分が多くある。尚芯材はやや赤みの有る御影石で鏡面の様に仕上げられている為異様な感じがする。
 私なら、全て新しく再建し、旧石材を別に保管する。)
(北面の「左ふぢゐ寺」が竹内街道を東へ進み、南面「ひらの」が、竹内街道を西に進むよう案内する事にな
 り特に問題は無いでしょう。今では無くなって読めないが「右さやま、かうや」が竹内街道から分岐し南を
 目指すのも良しである。西90mの「松原野市岡5の道標」から続く事により、中高野街道が鍵型に折れて
 いた事が分かります。
 『今昔マップ on the web』明治の地図を参照下さい。
 今ならこの90mの間は、「中高野街道」と「竹内街道」の重複区間と言えます。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北に望む
 奥(東)立部西交差点へ  奥(南)中高野  左(西)「岡5の道標」
 右、中高野街道】  街道を真福寺方面へ】  へは90m程の距離】

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【4.東面年部拡大 【5.東面月部拡大 【6.東面下部拡大
 「寛政九…」  「…年五月」  「いせこう中」は
 と読める】  と読める】  かろうじて読める】

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【7.道標解説板北西面 【8.道標を南東に望む 【9.道標頭頂部を南東に
 竹内街道残存56基中  左が北面となり  まるでタマゴサンドに
 3番めに古いとする。  案内はほぼ全て  見える。芯材も古びた
 平成25年3月松原市】  読み取れる】  様に加工できないものか】
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