茨木市安威3−17−3 本堂西の納骨堂の南西の宝篋印塔基壇部に東を正面に建つ
宝篋印塔基壇(下から三段目) 21x69x69p(東西二石)
N34.854296 E135.564111




【基礎部】
東面
┌─―――――――――┐
│御室御所御法意 │
│西國三十三度供養塔 │
│傳來五人行者 │
└――――――――――┘
北面
┌─―――――――――┐
│天保五甲午三月十八日│
└――――――――――┘
西面
┌─―――――――――┐
│(なし) │
└――――――――――┘
南面
┌─―――――――――┐
│泉州貝塚里畠中村 │
│行者隨道 │
└――――――――――┘




【基壇、下から三番目】
東面
┌─―――――┐
│供養塔施主 │
│さかい │
│平野屋利兵衛│
│平野屋佐助 │
│發起 │
│神南邉庵 │
│大道心隆光 │
└――――――┘
北面
┌─―――――┐
│(なし) │
└――――――┘
西面
┌─―――――┐
│(なし) │
└――――――┘
南面
┌─―――――┐
│(なし) │
└――――――┘
(天保五(甲午)年三月十八日は、西暦1834年4月26日土曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載。)
(宝篋印塔の各部名称は知らないので、web上を参考に上から、相輪、笠、塔身、基礎、基壇とする事にしました。
が、当石造物にあっては大きさの故か、上記各部毎に一石になっておらず、笠部分が二石に分れ、基礎から下の
基壇部分5層になっており、その部分の名称を解説する資料は見当たらないようです。よって一番下の台形状石
を1段目、順次上に2、3、4、5段目とした。こうすると塔身部分に梵字、基礎部に「西国三十三度」、基壇
3段目に「施主…」があるとなる。)
(安威山大念寺のhpを見ると、ここに建てた理由は分からず、関係者の情報も石から得られるもの以外無さそうで
す。神南邊の関連を見る為に、自分なりに解釈してみます。
先ず建立者はだれか、塔全体が同時に作成された前提で、「供養塔施主」とある「堺、平野屋利兵衛・佐助」
の二名である。多分親子と思うが、この人が当寺の檀家等であれば、ここに建てて不思議はない。但し「発起」
に「神南邉…」とあるので、この人に勧められたと思われる。さて何の名目でとなると「御室御所御法意」から
(仁和寺とする)仁和寺管轄下の貝塚村の行者隨道が、西国三十三ヶ所巡礼を33度成し遂げられた事を記念し
て、と仁和寺が見え隠れする。
尚、「傳來五人行者」をどう解釈するかですが、三十三所巡礼に係る徳道上人等の5名を指すものとし、威厳
を持たせる効果がある表現とする。
各部の高さを足すと291pにもなる大きな石造物である。並の経済力では成し得ないと思われます。「天保五
甲午(年)三月十八日」と明確で「さかい、平野屋…」から、堺の古文書を当たれば詳しい事が分かりそうな気
がする。
現在この宝篋印塔の東にも、これより古い宝篋印塔が建つが、少なくとも見掛けではこれに負けていない。)
(施主ではないが発起人として「神南邉庵/大道心隆光」の名が見える。多く「邊」とする中で「邉」が使われて
おり、自身が書いたものでは無いかもしれない。また、「神南邉庵」の「庵」が付くものは初めてであり、自身
の庵を営んでいたものであろうか。
『神南辺隆光と関係石造物』月山渉に「(仁和寺)門跡に拝謁したであろう文政十三(1830)年」を信ずれば
「天保五(1834)年」では仁和寺の影響は大きいであろう。)
(山門南の石段、西側に「藤原鎌足公古墳の道標」があります。)
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【1.大念寺を北西に望む |
【2.宝篋印塔を西に望む |
【3.宝篋印塔を南西に望む |
左安威神社鳥居 |
後ろの山沿いの道は |
下から三段目に |
右階段上寺山門へ】 |
西へ下り神社へ】 |
施主等が書かれる】 |
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【4.基礎部東面上部 |
【5.基礎部北面拡大 |
【6.基礎部南面拡大 |
「御室御所御法…」 |
「天保五甲午三月…」 |
「泉州貝塚里畠中村」 |
「西國三十三度供…」 |
と読める】 |
「行者隨道」とした】 |
「傳来五人行…」】 |
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【7.基壇東面左端 |
【8.基壇東面中部 |
【9.基壇東面右部 |
「神南邉庵」 |
「發起」 |
「供養塔施主」 |
「大道心隆光」】 |
と読める】 |
「さかい」 |
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「平野屋…」】 |
【塔身】




東面(元南面か)
┌─―――――┐
│(タラーク)│
│宝生如来 │
└――――――┘
北面(元東面か)
┌─―――――┐
│(ウン) │
│阿シュク如来│
└――――――┘
西面(元北面か)
┌─―――――┐
│(アク) │
│不空成就如来│
└――――――┘
南面(元西面か)
┌─―――――┐
│(キリーク)│
│阿弥陀如来 │
└――――――┘
(宝篋印塔の塔身の梵字をwebに頼ると、「一般に金剛界四仏を刻み、周りを月輪で囲む」とあり、
各方位も決まっているようです。この塔の塔身の梵字は文字をそのまま彫らずに、外周を線刻して
表現している為、非常に見難いが、四仏に一致していると思われます。しかし決められた方向には
一致しておらず、現東面を南面させる事で約束通りになりそうです。依って元は全体に90度、時計
回りに回して建てられていたのでは無いか。)
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