73.茨木市安威3−17藤原鎌足公古墳の道標

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茨木市安威3丁目17 大念寺山門前石段の途中西側に南東を正面に建つ
(安威神社大鳥居の北側でもある)
角柱 91x19.5x18.5p
N34.854134 E135.564424


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南東面
┌――――――――――――┐
│藤原鎌足公古墳道    │
└――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
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北西面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――┐
│ 是より        │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では63
(同書では、鎌足公古廟の道標を4基採り上げているが、吹田町の伊東の銘が有るもの三基と、この一基である。銘の
 有るものは現在2022年では二基「安威1の鎌足廟案内」「西安威1の鎌足廟案内」が残る。
  さてこの一基が他の二基と関連があるか無いかを見るとどうであろう。私の結論から言うと「無関係」としたい。
 理由としては、銘が無い、筆跡が異なる、の二点である。特に「鎌」については字体が異なっていて、この石のもの
 は旁(字の右側)「兼」の下部が「人人」となっており同一人物が使い分ける事はあまり無いでしょう。(字が小さ
 く「兼」と刻むことが難しいから石工が変えた可能性はある。)
  その他、同書でも「古墳」と「古廟」の違いを指摘している。銘のある二基については「吹田町」より明治41年
 以降の建立としており、石の摩耗等から見ればこの石の方が新しく見えます。)
(「是より」とあるので道標扱いにしましたが、「xx参道、参詣道」と同じ性格の石標であるなら、何処に立ってい
 たものであろうか、上書では「安威神社大鳥居を入った所に倒れている。元はどこにあったわからない。」とあるが
 参道の入口に相応しい地点ならば現将軍塚を挟んで東西二ヶ所があるが、西側は福井村になり東側の安威村側とする
 と、「安威2の鎌足公古廟の道標2」が有った辻が考えられるが、いかがであろうか。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北に望む
 中央階段左に当道標  右(西)安威神社へ  後は大念寺山門前石段
 右、大念寺、左安威神社】  奥、都市計画道路へ】  立つのは寺の敷地内か】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南東面上部 【6.道標南西面拡大
 通行人にはこの様に  「藤原鎌足公」  「是より」とした
 見えていたのでは】  「鎌」の下部「人人」】  上部は石の傷か】

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【7.道標上部を北に望む 【8.道標南東面下部
 摩耗は少なく  「…古墳道」
 新しいものではないか】  参詣道とはしない】

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【9.茨木南部の道標】

現存三基の比較
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【10.西安威1の南面 【11.安威1の北面 【12.当道標南東面
 幅17.5p  幅18p  幅19p
 「鎌足公古廟道」】  「鎌足公古廟」】  「藤原鎌足公古墳道」】
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