89.茨木市安威2の鎌足公古廟の道標2(遺失)
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茨木市安威2丁目6−20 追手門学院大入口前五つ辻南部に有ったらしいが、無くなった様である
山型角柱 132x27x17.5(頂高7)(『わがまち茨木』61を参照しました。)
N34.846460 E135.5600581
右面
┌――――――――――――┐
│左 鎌足公古廟 道 │
└――――――――――――┘
正面
┌――――――――――――┐
│ 吹田町 │
│ 伊東清次郎建之 │
└――――――――――――┘
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では61
(同書では、鎌足公古廟の道標を4基採り上げているが、吹田町の伊東さんが建てたものは、現在2022年では二基
「安威1の鎌足廟案内」
と
「西安威1の鎌足廟案内」
が残る。鎌足公古廟は現在では将軍塚古墳とある。
同書の出版時点でもなくなっていたようで昭和47年の写真を掲載している。この写真の背景に食堂の看板が写り込み
これとほぼ同じと思われる店が現在でも有る為、これを手掛かりとして元位置を割り出してみた。)
(上記の写真は掲載写真と同じアングルではないかと思うが、広角で撮っています。五辻をほぼ北に見たもの。)
(尚、同書の解説に「鎌足公古廟の道標の中で最も大きいものである。古廟に最も近く、東、すなわち茨木街道支線の
方から参拝するのを、本道と考えたから立派なものを建てたのであろう。」としているが、この位置で左を案内する
道標であれば、南西「西安威1の鎌足廟案内」からを来た人に対して西に折れるよう案合したものと思う。もし東の
安威村方面から来た場合は「右」又は「すぐ」の案内が相応しい。
又、大正11年迄の地図では南東からの道は無く、三ツ辻で位置も西に20m程の地点であったと考えられる。)
【1.元位置を東に望む
【2.元位置?から北西を望む
水色の空缶入れ辺りに
ポストと門柱の間を
有り、撮影地点へ案内か】
西に進み古廟へ】
【3.茨木南部の道標】
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