45.住吉区大海神社の神輿台東側(道標ではない)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
大阪市住吉区住吉2−9 大海神社の玉の井の南、駐車場赤色柵北側に北を正面に置かれる
(三基中の最も東側のもの、「神輿台西側」はこちら)
立方体 59x127x124p
N34.613711 E135.493413


北面
写真jimg8873

西面
写真jimg9448

南面
写真jimg9425

東面
写真jimg9453

北面
┌─―――――――――――――┐
│神輿臺           │
└――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――┐
│願主堺           │
│柳屋嘉兵衛         │
│和泉(屋お楚)       │
│納屋(治)兵衛       │
│岸屋伊右衛門        │
└――――――――――――――┘
(( )部は『隆光と関係石造物』より)

南面
┌─―――――――――――――┐
│神輿掛り          │
│ 今在家村         │
└――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――┐
│ 神南辺大道心       │
│取次            │
│ 山上宮門大夫       │
└――――――――――――――┘
(『隆光と関係石造物』は「太夫」とする)


(『隆光と関係石造物』月山渉、2012年では、q蜊8)
(大海(だいかい)神社は住吉大社の「摂社」とhpにあり、住吉大社の北側にあります。この境内やや南に
 「玉の井」がありそこから少し南は駐車場となっています。この駐車場との境に赤い玉垣が廻らされており
 この西端の角の境内に置かれている。浅学で石製の神輿台は初めて見ましたが、その名の通りで祭りの時に
 神輿を置くためのものと思われます。であれば現在の位置では相応しくなく移設されていると思う。
  上記書によると「もと紀州街道大和川の大和橋北詰めの御旅所にあった」とあり、『摂津名所図会』では
 「住吉神輿火替所、大和橋北爪にあり六月晦日夜御祓に堺の地人(ちにん)炬(たいまつ)にて此所まで送る…」
 とあり、堺の人に縁が有る場所と思われる。橋の北詰東側からなら2q近くの移動となる。
  尚、橋の長さは45丈(136m)と説明するが、現在では200mと延びている。)
(三基が連続して置かれ、東西面は両端の石しか読み取れない。願主や取次はさぞ無念であろう。)
(住吉大社は当然『摂津名所図会』の第一巻に載るが、この石の手掛かりはなさそうである。この石の設置よ
 り古い時代に出版されていると思う。国立国会図書館の『摂津名所圖會』1巻コマ28はこちら。
(東面に「取次神南辺大道心」とあり本人が書いたものかは分からないが、他の項で問題にしている「邊」
 「邉」問題に関しては、「辺」とした。)
(東面のもう一人の取次である「山上宮門大夫」は住吉大社の常夜灯二対についても取次をしているようで
 それらには紀年があり、天明六(1786)年、寛政十一(1799)年とある。参考として挙げておきます。)

写真jimg8898 写真jimg8863 写真jimg8864
【1.大海神社を東に望む 【2.「玉能井」を南西に望む 【3.神輿台を南西に望む
 右(南)にも小門が  中央奥に小さく  左端が当石
 あり、駐車場に繋がる】  神輿台三基が見える】  右端がもう一基】

写真jimg8884 写真jimg8885 写真jimg8871
【4.東面左端の拡大 【5.東面中央の拡大 【6.東面右端の拡大
 「山上宮門大夫」を  右「…南辺…」が  「神南辺大道…」
 「太夫」とするもの  少し見え、中央は  見難いが最下部は
 もある】  「取次」とした】  「心」であろう】

写真jimg8867
【7.南面の拡大
 「神輿掛り」
 「今在家村」
 と読める】

写真jimg9440 写真jimg9439 写真jimg9438 写真jimg9437 写真jimg9436
【8.西面左1 【9.西面左2 【10.西面左3 【11.西面左4 【12.西面左5
 岸屋伊右衛門】  納屋(治)兵衛】  和泉(屋お楚)】  柳屋嘉兵衛】  願主堺】

【参考】
(執次、山上宮門大夫とある石灯籠、二対)
 1.住吉大社南西角北側、阪堺線に面する、天明の常夜灯。
   天明六(丙午)年二月十五日は、西暦1786年3月14日火曜日となる。この年閏10月あり。

写真jimg9483 写真jimg9492
【13.天明の常夜灯北面 【14.天明の常夜灯を南に望む
 「天明丙午花朝」  右の赤旗の左側、右は阪堺線
 花朝は二月十五日  二基で一対
 「山上宮門大夫」】  垣が有り近寄れない】

 2.太鼓橋北東、社務所の西前、寛政の常夜灯。
   寛政十一(己未)年十一月1日とすると、西暦1799年11月27日水曜日となる。

写真jimg9466 写真jimg9469 写真jimg9476
【15.寛政の常夜灯東面 【16.寛政の常夜灯西面 【17.寛政の常夜灯を西に望む
 対の為、後「寛政十一年…」  「寛政十一年」  右、二基で一対
 手前「執次…宮門大夫」が  「己未十一月吉辰」  銘より全体は寄せ集め
 一度に見える】  「吉辰」は吉日と同じ】  左後、枠外に誕生石】

文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ