40.堺市熊野町東常安寺入口の敷石(道標ではない)

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堺市堺区熊野町東5−1−12 常安寺の入口全面に八個の石をほぼ南北に並べる
石板 南端93x49x3p、北端90x44x2p(縦x幅x厚、厚みは端の盛り上がり部のみを示す)
N34.576943 E135.478953


写真jimg9083
(見易さを考え一部修正)

写真jimg9096

写真jimg9095

南端
┌─―――――――――――――┐
│施主 神南辺        │
└――――――――――――――┘

その間
┌─―――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

北端
┌─―――――――――――――┐
│天保六未年         │
└――――――――――――――┘


(『隆光と関係石造物』月山渉、2012年では、q蜊16)
(天保六(乙未)年1月1日とすると、西暦1835年1月29日木曜日となる。この年閏七月あり。)
(敷石は左右に八個並んでおり、入口から見て右(南)端に施主、左(北)端に紀年が彫られている。両端の
 石のみ、左右の端を幅10p、高さ2〜3pの盛り上げており、溝に架けた橋等のように見える。)
(南端石右上面に「施主神南辺」とあり本人が書いたものと思れるが、他の項で問題にしている「邊」「邉」
 問題からは外さざるを得ないと思う。刻面の幅の制約上「辺」は致し方ないと思われる。)
(橋の可能性を述べたが、明治の地図『今昔マップ on the web』でも溝・川は確認出来ない。
  同様のものに「東成区深江南法明寺前石橋」がある。)

写真jimg9076 写真jimg9103 写真jimg9101
【1.常安寺を東に望む 【2.北端石を南東に望む 【3.南端石を南東に望む
 入口前面に八個の  「天保六未年」を残し  「施主 神南辺」を残し
 石が敷かれている】  一石の右部分を削る】  左部分を削り落とす】

写真jimg9105 写真jimg9077 写真jimg9084
【4.常安寺を南に望む 【5.常安寺の解説板 【6.南端石上部の拡大
 「はらおび観音」とある  慶長20(1615)年再建  「施主」
 溝などは無かった】  昭和61(1986)年再々建】  と読める】

写真jimg9079 写真jimg9078 写真jimg9087
【7.入口北側を東に望む 【8.入口南側を南に望む 【9.南端石下部の拡大
 中央の石の左端に  中央やや左に「施主…」  「神南辺」
 「天保六…」とある】  の敷石がある】  と読める】

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